出版社内容情報
多くの可能性から唯一の現実が選択されるという図式は正しいのか。この問いを糸口に、自由とは何かという哲学の難問に驚きの解を示す。
青山 拓央[アオヤマ タクオ]
内容説明
これまで自由意志/決定論の対立として論じられてきた難問を、自由とは何かという議論からいったん離れ、「分岐問題」の枠組みのもとで考察しなおす。従来の哲学が依拠してきた対立図式を根底から揺さぶり、自由をめぐる議論に新たな境地をひらく圧倒的論考。
目次
第1章 分岐問題(導入;問題の構造 ほか)
第2章 自由意志(概観;意志と主体 ほか)
第3章 実現可能性(時間と様相;スコトゥスとアリストテレス ほか)
第4章 無自由世界(他我問題の反転;ストローソンとデネット ほか)
補論(時制的変化は定義可能か―マクタガートの洞察と失敗;無知の発見―猫の懐疑とウィトゲンシュタイン ほか)
著者等紹介
青山拓央[アオヤマタクオ]
1975年生まれ。現在、山口大学時間学研究所准教授。哲学の観点から、とくに時間・言語・自由・心身関係を考察。慶應義塾大学より博士(哲学)を取得。県立浦和高校、千葉大学文学部、同大学院博士課程、日本学術振興会特別研究員などを経て現職。2006年、日本科学哲学会第1回石本賞を受賞。2011年、文部科学大臣表彰科学技術賞を研究グループにて受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
へくとぱすかる
53
過去から未来へ分かれていく樹形図は、タイムトラベルを語る場合によく使われるが、なにかの決断や出来事によって「分岐点で」世界が分かれていく、と考えたくなる「常識」が実は誤っている、という指摘にまず驚く。そこからは主要なテーマとしての、意志について、自由についての議論が始まっていく。しかしそれが実はかなり難しかったので、読み進むのが困難だった。個人的な好みで著者の時間についての議論に惹かれて読んだが、自由意志の問題が理解できたとは思えない。再読の必要があるだろう。2020/08/13
Amano Ryota
5
無自由な世界に救いはない。ぼくたちはただ、語ることが出来ない無自由な世界との対比において、自由/不自由な世界を生きる。しかし、自由/不自由はぼくたちが勝手に作ったものであって、世界はただ無自由なんだ。何もない世界でどれだけ遊べるか、それが本当の問題だろう。「真に無自由な世界においては、未来の諸可能性の一つを自由に選びとる主体は存在せず、未来の諸可能性の一つを不自由に押しつけられる客体も存在しない。なぜなら、諸可能性の選択そのものがーーそしてそれにまつわる『自由』や『不自由』がーーその世界にはないからだ。」2017/02/16
百十一
3
かなり難解で、読むのに苦労した。 しかし、今まで触れてきた自由意志に関する議論の中で、(良い意味で)最も希望を排除した議論であり、終始冷静な議論が行われていたと思う。 基本的に三人称的に考えれば、いわゆる自由意志など幻想に過ぎず、○○に人間が操作されているなどという言説などは中途半端に自由意志を信じているものである。 また、それを受け入れた上で、責任や倫理的なものを構築しようとする試みも、どれも満足のいくものではなく、結局「ただあるだけ」の無自由世界であるという帰結が得られる。2022/08/26
かおす
2
「自由」に関する本は初めて読んだが、(所々の理解が危ういものの)本書は衝撃的な内容だった。特に自由意志は他者由来であるという主張。1人称としての私の内部には不可視な領域はなく、どこを探しても自由意志は見つからない。そして私はただ「ある」という点で無自由となるが、他者から見た私と2人称化することで不可視な領域が確保され、そこが自由意志の源泉だとみなされている、と。結局のところ、その非存在の不可視という形で信じる限り、自由意志は幻想なのだろうか。すぐには受け入れられそうにない。2022/09/19
田蛙澄
2
自由を単一的な立場に還元することなく、1,2,3人称のそれぞれの立場から両立的自由、自由意思、決定論を配分し、それらの相互循環によるアマルガムとして自由が構築されているというのは面白い。そしてそれらを除いた所にはもはや自由でも不自由でもない無自由があるだけでありそこでは様相の意味自体が無効化されるというニーチェ的な話も興味深かった。また特に1章の分岐問題においてもし分岐があるなら多世界的な質的重複しかあり得ず、純粋な共有は完全に無根拠な偶然以外には分岐があり得ず、単線的な決定論に陥るという議論もよかった。2018/12/01