内容説明
《何人にも承諾され得る普遍共通の詩の原理》という理念にとり憑かれた萩原朔太郎の詩の生涯に迫る力作評論。
目次
1 『詩の原理』まで
2 『詩の原理』という場所
3 朔太郎詩の展開―エレナから荒寥地方まで
4 『詩の原理』以後
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
午後
3
萩原朔太郎の、その詩作の最初期から彼を捉えて離さなかった何人にも承諾され得る普遍共通の詩の原理を打ち立てる、という野望。彼の著書『詩の原理』だけでなく月に吠える期から幾多の軌道修正や転換を交えながらも脈々と書き継がれた彼の音楽的詩論の、その内容とその限界や矛盾と、彼の詩作品との抜き差しならない緊張関係を丹念に追った本。月に吠えるで生み出された画期的なイメージの数々は当時の彼が夢想していてなおかつあらかじめ破綻が決まっていた"自我のリズム"論のその不可能性と彼の野心とのせめぎ合いから生まれたものだった。2019/05/23
毒モナカジャンボ
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「(承前)つまり、朔太郎のイマジネーションという概念の不可能と、西脇のイマジネーションを発生せしめる生の根底への問いの不可能性とが、そこで円環することによって、現代詩の決定的な転換は空しくされていた、と言えるかも知れない。」近代に憧れ、やがて近代に幻滅した詩人の盲点が、自分自身の奇妙な詩論を超えた詩を生み出すことになった。批評は日本語の外からやってきた。口語自由詩の存立根拠を立てるためには一度日本語とそれを取り巻く状況を徹底的に対象化しなければならない。が、〈主観〉への癒着はそれを許さなかった。2022/07/17
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日本の近代詩における「歌う詩から読んで考える詩へ」(鮎川信夫)の移行過程において、西脇順三郎などのモダニズム詩人ーー言語の「物質性」それ自体を自覚した詩人達から見るならば、朔太郎の分裂と限界、つまり、朔太郎が単純に「歌う」こと(=「内在律」)へ後退しているように見える(故に批判の対象となる)。だが、日本の「詩」=「歌」が「散文」に解体されてゆく過程(そして、それは「故郷」=「日本」が解体してゆく過程でもある)において、朔太郎が見出したものが単純な「詩」=「歌」ではないことは自明である。だから、厄介なのだ。2019/10/22