出版社内容情報
無言板――それは、誰かがなにかの目的で立てたはずなのに、雨風や紫外線によって文字が消えてしまった街角の看板たち。ようこそ、路上の美術展へ。
内容説明
誰かがなにかの目的で立てたはずなのに、雨風や紫外線などの影響で文字が消えてしまった街角の看板たち。そんな“もの言わぬ看板”=「無言板(Say Nothing Board)」を、作り人知らずのストリートアートとして鑑賞する。美術評論家である著者が、まち歩きの道すがらに発見、収集した路上の芸術をカラーで約200点収録&解説。これを読めば、いつものさんぽ道がまったく新しい美術館に見えてくる!
目次
第1章 定義:無言板とは何か(役に立たない;もの言わぬ看板;レディメイドの禅;無言板の類型と特徴)
第2章 鑑賞術:気がつけば街角は美術展(コンセプチュアルアート―言うことなしの芸術;アノニマスアート―作り人知らずの芸術;ミニマルアート―最少限であることの美学;ファウンドオブジェ―見立てのカ;コンクリート・ポエム―ストリートの詩篇;都市のポートレート―現代を生きる私たちの分身)
第3章 考察:無と消費をめぐる文化史(無のキャンペーン;ナンセンスの森;無為に多忙;何もしないという戦術)
著者等紹介
楠見清[クスミキヨシ]
1963年生まれ。美術評論家。『美術手帖』編集長を経て、現在は東京都立大学准教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
へくとぱすかる
50
トマソン以来の路上観察は今も生きている。何でもない物件に美を見いだすには、意味づけが重要ということだ。昔のデュシャンの「泉」は論議を呼んだが、作らない「作品」も鑑賞の対象になりうることを教えてくれた。物件(この呼び方も発明のひとつ)にタイトルを与える意味づけで、初めてアートになるという点を押さえておきたい。作品が注目されなかったり、隠れていたわけではないということ。トマソンの「純粋階段」「アタゴタイプ」などの概念を作ることがアートとしてのおもしろさでもある。さっそく今日から街歩きが楽しみになってきた。2023/10/17
阿部義彦
18
ちくま文庫、最新刊です。赤瀬川原平さんの路上観察に絡んで確か南伸坊さんが『ハリガミ考現学』という本を出していたと思いますが、これは其れの看板版トマソンとも言えると思います。街で見かける看板で、既に書かれた文字やイラストが消えてしまって何のメッセージも発していない物を著者は『無言板』と名付けて、タイプ事に分類して写真を撮りました。全部が消えたもの、一部分(特に赤色は退色し易い!)が消えて穴埋めパズルになっている物、無地になっているが、ペンキの跡や引っかき傷で抽象画の様な物、様々な看板に題名を付けます。2023/06/22
有理数
16
文字が消えてしまったり何らかの理由で壊れたりして、その役目を失った看板たちを観察する「無言板アート」の収集録。おそらく私の日常でも出くわすであろう看板たちだが、著者のような視点で見たことがあまり無い。こういった遊び心と世界を面白がる眼差しが、読み手の世界と、ただの散歩の解像度を押し上げてくれるる。「役目を終えた看板」が主題と言えど、どんな風に役目が終わってしまったのかという考察や、その周囲の風景たちも交えた鑑賞の妙が冴えわたる。そういう意味で、ここに載った看板たちは、役目を終えたとて生きている。2023/07/18
よいおいこらしょ
8
経年劣化や損傷、落書きで、何も読めなくなった看板を読むアート入門。自分もさんぽをするときの細やかな楽しみが増えた。日常にユーモアを……。さて、この半ナンセンスアートのような読めない看板は、再解釈することで新たな価値が生まれる。まるでデュシャンの「泉」のようなエッセイ2023/07/22
h_hukuro
3
街歩きが楽しくなる一冊。無地の1枚絵や乱雑な線の集まりを現代アートだと言われてもピンと来ないのですが、街中の消えた看板にアートを感じるのは、見る側が積極的にアートと感じるからなのではと思いました。2023/09/03