出版社内容情報
諸国を遍歴した著者が、記憶の果てにぼんやりと光るひと皿をたぐりよせ、追憶の味(あるいは、はたせなかった憧れの味)を語る。書き下ろしエッセイ
内容説明
「食べものとは失われた時間であり、もはや記憶のなかにおぼろげにしか蘇ってこない何ものかであったのだ」。日本の山椒、釜山のコムタン、ナポリの蛸、タンジェのミントティー―。数多くの国に滞在した経験をもつ著者が、記憶の果てにぼんやりと光るひと皿をたぐりよせ、追憶の味(あるいは、はたせなかった憧れの味)を語る。熟達した文章でつづる書き下ろしエッセイ。
目次
1(奥能勢の鮎;伊丹の酒粕 ほか)
2(京畿道のスジョングァ;釜山のコムタン ほか)
3(バンコクのケーン;イサーンの鶏 ほか)
4(イタリアの料理学校の思い出;フィレンツェのビフテキ ほか)
著者等紹介
四方田犬彦[ヨモタイヌヒコ]
1953年生まれ。東京大学文学部にて宗教学を、同大学院にて比較文学を修める。ソウルの建国大学校に始まり、コロンビア大学、テルアヴィヴ大学、明治学院大学などで、教授・客員教授として教鞭を執った。言語表現と映像、音声、都市を対象に批評活動を行なう。斎藤緑雨賞、サントリー学芸賞、伊藤整文学賞、桑原武夫学芸賞、講談社エッセイ賞などを受けた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
i-miya
64
2013.12.17(12/17)(初読)四方田犬彦著。 12/16 (カバー) 「食べ物とは、失われた時間であり、もはや、おぼろげにしか蘇ってこない何ものかであった」 日本の山椒、釜山のコムタン、ナポリの蛸、タンジュのミントティー。 数多くの国々に滞在した記憶の果てに、浮かび来る一皿を語る。 文庫のための書き下ろし。 (あとがき) 子どもの頃祖母とよく中ると評判の占いの女先生に診てもらった。 坊ちゃんは運勢に食の字が3つ出ている。 2013/12/17
i-miya
61
2014.01.18(01/17)(つづき)四方田犬彦著。 (p011) 祖父は長く刑事裁判の弁護士をしていた。 大阪堂島に勤めていた。やめてここで、菜園仕事でのんびり過ごしていた。 一家が長く家を空けるのは、六甲山ホテル、夏、滞在するときだけだった。 ホテルの離れには、小林一三が待ち構え、茶道具や種子島の話を飽きずにしていた。 祖父母といっしょによく食べにいった。 2014/01/18
アキ・ラメーテ@家捨亭半為飯
41
ナツヨム2017の「旅」をテーマにした一冊。幼少時、祖父母に連れられて食べた思い出の食べ物から、留学先の韓国の食、世界中の食にまつわるエッセイ集。フォアグラやカラスミなどの高級なものでも、粉モンにソースなどの庶民的な食べ物であってもどの話も格調高い。食べたいと思って、口に出来るものばかりではないけれど、読んでいるだけでも満足出来る美味しい読書体験だった。2017/07/29
ホークス
31
没落貴族的な、内田百閒の様な気高さを感じた。子供の頃のたこ焼きとお好み焼きの話も、下世話なのに何故か上等な香りがする。これが教養ある文章というものか。例えば山椒は、慎ましく食物に秩序をもたらす存在だが、暴力的な唐辛子にいずれ駆逐されるのでは、と嘆く。国々を巡り、四十代でイタリア語を学ぶために現地の料理学校に通うなんて常人にはできない。イタリアと日本が「おまけ文化」で共通するという話も面白い。朝食からアイスを挟んだパンを食べ、スパゲティをパンに挟んだ焼きそばパン的物件まであるらしい。2017/06/29
岡本匠
17
多くの人は、基本的に同じものを食べ続けてしまう。新しい物に手を出す事には躊躇する人が多いはず。しかし、四方田犬彦は、そうした事には捉われない。何でも食べてみようとするし、普通に虫も食べている。この人は、旅を基本とする人でもあり、旅をするという事は、何でも受け入れていかないと駄目なんだろうとも思う。そうした部分は凄いと思う。2018/01/08
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- 和書
- 藤原道長 法蔵館文庫