内容説明
写生説論議から始まり、理論体系の確立がはかられ、短歌が文学の一ジャンルとしての完成をめざした大正中期の歌集14冊。
目次
伎芸天(川田順)
渓谷集(若山牧水)
紅玉(木下利玄)
隠り沼(小田観蛍)
松倉米吉歌集(松倉米吉)
金鈴(九条武子)
左千夫歌集(伊藤左千夫)
あらたま(斎藤茂吉)
地懐(橋田東声)
吾木香(三ケ島葭子)〔ほか〕
著者等紹介
川田順[カワダジュン]
明治15年1月15日、東京市浅草区三味線堀(現在、台東区)に生れる。漢学者川田甕江の三男。40年、東京帝国大学法科卒業。大阪の住友本社に入社、常務理事をもって昭和11年に退社。明治30年、竹柏会に入門、佐佐木信綱に師事、31年創刊の「心の華」に同人として参加。37年、小山内薫、武林無想庵らと文芸同人雑誌「七人」を創刊。大正13年、白秋らと「日光」を創刊、同人となる。大正7年、第一歌集『伎芸天』(内容的には第二歌集)を刊行。第三歌集『山海経』(大11)は、写実主義への転化の実証であり、『鷲』(昭15)はその到達を示す。昭和17年、『鷲』及び歌文集『国初聖蹟歌』(昭16)によって第一回帝国芸術院賞を受賞。ほかに歌集『陽炎』(大10)『青淵』(昭5)『鵲』(昭6)『立秋』(昭8)『旅鴈』(昭10)『妻』(昭17)『史歌大東亜戦』(昭19)『吉野之落葉』(昭20)『寒林集』(昭22)『東帰』(昭27)『定本川田順全歌集』(昭32)その他がある。詩集も持ち、また『利玄と憲吉』(昭10)『源実朝』(昭13)『定本・吉野朝の悲歌』(昭14)『西行』(昭14)など、和歌史、歌人研究、随想などの著書も多い。19年、朝日文化賞を受賞。38年、芸術院会員。24年の元大学教授夫人鈴鹿俊子との烈しい恋愛事件は、「老らくの恋」と喧伝された。第一三歌集『東帰』はその時期の作をふくみ、純粋な愛と苦悩が歌われている。昭和41年1月22日歿。八十四歳
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