ちくま学芸文庫<br> 歓待について―パリ講義の記録

個数:

ちくま学芸文庫
歓待について―パリ講義の記録

  • ウェブストアに1冊在庫がございます。(2024年04月25日 12時32分現在)
    通常、ご注文翌日~2日後に出荷されます。
  • 出荷予定日とご注意事項
    ※上記を必ずご確認ください

    【ご注意事項】 ※必ずお読みください
    ◆在庫数は刻々と変動しており、ご注文手続き中に減ることもございます。
    ◆在庫数以上の数量をご注文の場合には、超過した分はお取り寄せとなり日数がかかります。入手できないこともございます。
    ◆事情により出荷が遅れる場合がございます。
    ◆お届け日のご指定は承っておりません。
    ◆「帯」はお付けできない場合がございます。
    ◆画像の表紙や帯等は実物とは異なる場合があります。
    ◆特に表記のない限り特典はありません。
    ◆別冊解答などの付属品はお付けできない場合がございます。
  • ●店舗受取サービス(送料無料)もご利用いただけます。
    ご注文ステップ「お届け先情報設定」にてお受け取り店をご指定ください。尚、受取店舗限定の特典はお付けできません。詳細はこちら
  • サイズ 文庫判/ページ数 208p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784480098368
  • NDC分類 135.5
  • Cコード C0110

出版社内容情報

異邦人=他者を迎え入れることはどこまで可能か? ギリシャ悲劇、クロソウスキーなどを経由し、この喫緊の問いにひそむ歓待の(不)可能性に挑む。

内容説明

移民や難民の受け入れはどこまで可能か。何の留保や制約もなしに、異邦人=他者を歓迎するなど可能なのか。今日さらに切迫したものとなったこの問いにデリダが挑む。現代では、よそからやってきた他者を「私」の空間へ招き入れるという古典的な歓待の構図が崩壊しつつある。こうした歓待する側の自己意識や権力を前提とした条件付きの歓待に対し、デリダはプラトン、ギリシャ悲劇などを参照しつつ、無条件の歓待の諸相へと目を向ける。この遡行が揺さぶるのはヨーロッパを基礎づけてきた歓待の精神そのものであり、その根源的な(不)可能性にほかならない―。後期デリダ入門にも好適の一冊。

目次

招待(アンヌ・デュフールマンテル)
異邦人の問い:異邦人から来た問い
歓待の歩み=歓待はない

著者等紹介

デリダ,ジャック[デリダ,ジャック] [Derrida,Jacques]
1930‐2004年。アルジェリア生まれ。エコール・ノルマル卒業。西洋形而上学のロゴス中心主義の脱構築を企てた哲学者

デュフールマンテル,アンヌ[デュフールマンテル,アンヌ] [Dufourmantelle,Anne]
1964‐2017年。フランスの哲学者・精神分析家

廣瀬浩司[ヒロセコウジ]
1963年生まれ。筑波大学人文社会系教授。東京大学大学院総合文化研究科博士課程中退。パリ第1大学博士(哲学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

ころこ

35
人口減を迎えて、国会では移民受け入れ問題が議論されつつあります。デリダが96年にヨーロッパの同様の問題に対して考えた議論は、我々の問題に対して回答を示してくれるようにも思えますが、残念ながら、本書を読んでも明日から解決策を語れるようになるわけではありません。カントは『永遠平和のために』において、第3確定条項で外国から訪れた人が要求できるのは客人の権利ではない、客人の権利には特別な条項が必要だといっています。つまり、入国はできるが歓待は別だということです。アルジェリアからの移民であり迫害されてきたユダヤ人で2018/11/04

魚京童!

25
受け入れることはできないよ。どうなんだろうね。自分をどこで区切るか。村単位なら、日本で見るか、地球とするか。どうしたってどこかで他人が出てくる。免疫だって同じ考え方だし、じゃーアメーバみたいにすべてが同じになれるわけではない。存在自体を認めてやる程度にとどめるしかできないのかもしれない。2018/10/28

松本直哉

25
読みながら考えたのはフローベールの小説「歓待者聖ジュリアン」だった。悪態をつかれてもにこやかに受け流して無償で渡し船に乗せる。腹が減った、喉が渇いたとわがままを言う旅人を鄭重にもてなす。客人は神なのかもしれないのだから。どれほどみすぼらしくても皮膚病に侵されていても、なんの留保もなしに、時には自らを危険にさらしてまで、他者に対して自らを開くことはできるのか。フランス語のhôteが主人と客の両義を持つことは示唆的だ。主客が入れ替わること。主人たる自らを否定すること、それが真の歓待なのだろうか。2018/05/20

おっとー

10
デリダが論じるのは一般的なおもてなしとしての歓待ではない。名を問わず、所属を問わず、異邦人を無条件に受け入れる絶対的な歓待のことである(他方でデリダは、無条件の歓待を行おうとしても慣習的な歓待の掟が生起することを否定しない)。歓待とは暴力的な贈与の行為であり、主客関係を絶えず揺るがしていく。歓待する側はされる側を庇護する義務を負い、時に家族すら犠牲にせざるを得ない。しかしこの義務さえ果たせば、異邦人により安寧が保障される。歓待することは歓待されることであり、異邦人を問うことは異邦人に問われることである。2019/11/04

カイロス時間

9
歓待、それは他者を自分の「家」へ迎え入れること。例えば移民や難民を受け入れることは一つの歓待となる。しかし現実には、彼らは追い散らされている。様々な地域で。他者排斥の声かまびすしいこの世界に歓待はあり得るのだろうか?デリダによれば、歓待は無条件であり、また条件付きでもある。どちらかではなく、どちらでもあること。歓待は両者の重なり合いである。しかし、それを思考することは難しい。量子の重ね合わせをイメージするのに似て。だがそれでも試みる。条件付きで無条件であることを。その思考のもとにこそ歓待は開かれる。2020/01/07

外部のウェブサイトに移動します

よろしければ下記URLをクリックしてください。

https://bookmeter.com/books/12504617
  • ご注意事項

    ご注意
    リンク先のウェブサイトは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」のページで、紀伊國屋書店のウェブサイトではなく、紀伊國屋書店の管理下にはないものです。
    この告知で掲載しているウェブサイトのアドレスについては、当ページ作成時点のものです。ウェブサイトのアドレスについては廃止や変更されることがあります。
    最新のアドレスについては、お客様ご自身でご確認ください。
    リンク先のウェブサイトについては、「株式会社ブックウォーカー」にご確認ください。