出版社内容情報
突き当たった「伝統」の桎梏。そして縄文の美の発見。彼が対決した「日本の伝統」とははたして何だったのか。格闘と創造の軌跡を追う。
内容説明
1974年、ロラン・バルトは前衛的季刊誌『テル・ケル』のメンバーともに毛沢東政権下で文化大革命を推し進める中国を訪れる。北京、上海、南京、洛陽、西安をめぐる行程のすべてを彼は克明に記録し続けた。そこでは、書や料理、色彩や風景、訪問先での見聞が記される一方、エロティシズムや“襞”の欠如に嘆き、政治的な配慮に苛立ちながら、中国に「フランス」を照射しようとする。ついに書かれることのなかった中国版『記号の国』へのノートとして2009年に発表された新草稿、本邦初訳。
著者等紹介
バルト,ロラン[バルト,ロラン][Barthes,Roland]
1915‐80年。記号のシステムとしてのテクスト分析により、それまでの批評言語を刷新し、現代思想にはかりしれない影響を与えたフランスの批評家。社会的神話学から出発し、記号学・テクスト性・モラリティの時代を経て、テクストの快楽の実践へと至った。交通事故により死去
桑田光平[クワダコウヘイ]
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。パリ第4大学博士課程修了。東京外国語大学大学院総合国際学研究院講師。専門は20世紀フランス文学・美術(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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Koki Miyachi
6
本書はその名の通り、中国に23日間滞在したときのノート。1974年の中国は現在とは隔世の感がある。毛沢東の影響力が強い時代の中国の様子は今とは随分異なって見える。そんな中国の様子を新鮮な驚きと率直な感想をもって克明に書き取ったノート。他愛もない感想やメモもあれば、ロラン・バルトの感性を通して綴られた鋭いテクストもあって興味深い。23日の滞在でノート3冊。体験を文字にして残しておくことの大切さも実感した。2013/06/02
少年隊世代
3
西洋人による中国紀行文、これをピーター・ヘスラーの著書のようなものと期待すると、ガッカリするかもしれない。出版を念頭に置いたものというより、私的なメモのような、味気ない中国への記録文。しかし、味気なく、個人の感情などが削ぎ落とされた文体だからこそ、当時の文化大革命下の中国の姿をありのまま見られたのかも。そんな中でも、美少年に手を握られ動揺したりもしている。多分繰り返し文章の中で倦怠を謳うのは、アバンチュールに出会うことができなかったのも一因だろう。 2020/01/13
Hatann
2
この本でも「書くべきなのは「中国は?」ではなく「フランスは?」である」との記載がある。「表徴の帝国」と同じ旅行へのスタンスである。しかし、日本旅行では大いに感化されていたが、中国旅行ではややがっかりしたようだ。当初より「コード化されたものしかない、モードが完全に欠落している」と嘆息する(髪形を例に挙げる)。人民はエクリチュールを選択するような自由を有せず、受け答えについて当局から指導される。他方、信じられないほどに異国にいる気がしないとも述べられ、フランスでも感じる閉塞感を中国においても感じていたようだ。2018/12/07
koji
2
文化大革命の頃のバルトの中国旅行記。批林批孔運動を中心に、退屈、体調不良、いらいらに悩ませられながら、的確な旅行記をつけています。しかし、バルトのあけすけな”ホモ趣味”には笑いました。2011/09/17
uchiyama
1
旅行のメモなので、しかも、74年当時の中国が提供する政治的な主張や数値が丁寧に書かれていたりもするので、読み難いと感じる部分もありました。でも「こんなことばかりでは、1人の中国人のペニスすら見ることはできないだろう。性器を知らないで、民衆から何を知ることができるだろう?」と書き付け、政治的主張のやりとりには飽き飽きしつつも、闇雲に拒絶したりはせず、また、生きていることの倦怠を感じながら、それを誇張しない穏やかさと優しい強さが、小さな情景や天候や欲望の記述の中にあって、とても好きです。2020/09/09