出版社内容情報
内容は後日登録
内容説明
倫理の根源を問い続けた思想家レヴィナス。フランスのラジオで放送された10回のインタヴューをまとめた本書は、レヴィナス自身によるその思想の解説とも言える一冊である。自らの思想の形成期に「聖書」から文学作品を経て哲学の道へとたどりついた経緯、フッサール、ハイデガーの思想との出会いが語られ、四つの著書『実存から実存者へ』、『時間と他者』、『全体性と無限』、『存在するとは別の仕方で、あるいは存在することの彼方へ』が参照されつつ、レヴィナスの重要概念が簡潔に紹介されていく。難解な主著のモチーフを自ら解きほぐして語った、貴重な肉声。
目次
第1章 聖書と哲学
第2章 ハイデガー
第3章 ある
第4章 存在の孤独
第5章 愛と親子関係
第6章 秘密と自由
第7章 顔
第8章 他人に対する責任
第9章 証しの栄光
第10章 哲学の厳しさと宗教の慰め
著者等紹介
レヴィナス,エマニュエル[レヴィナス,エマニュエル][L´evinas,Emmanuel]
1906年リトアニア生まれのユダヤ人哲学者。フッサールとハイデガーに現象学を学び、フランスに帰化。第二次世界大戦に志願するがドイツの捕虜収容所に囚われて4年を過ごし、帰還後、ユダヤ人を襲った災厄を知る。ソルボンヌ大学等で教鞭をとる。95年没
西山雄二[ニシヤマユウジ]
1971年生まれ。首都大学東京准教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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壱萬参仟縁
56
顔。顔には廉直さそのものがあり、無防備で廉直な仕方で露呈。その皮膚はもっとも赤裸々で、もっとも貧しいままの皮膚。本質的な欠乏がある(106頁)。コロナ禍であれば、マスクの下の本音の「顔」の表情が想像される。訳者あとがきでは、人物を文脈で理解し、アイデンティティを同定する。しかし、<顔>はいかなる現象にも還元しえないような他者の現われである(167頁)。繊細な言葉で形容されるとのこと。顔を見れば人格がわかる。目しか見えないコロナ禍のマスク顔で、人の本質をどう見抜くか? 大きな難題であり続けるのか?2022/07/30
ころこ
35
対談者が自らの役目に忠実で控えめで、対談というよりは、インタビューです。(レヴィナスにしては)率直に語っているため、わりあい読み易く感じました。合っているかどうか分かりませんが、レヴィナスには先にモノやコトがあって、それらとの関係において、遅れて自らの存在がある。それらとの関係のことを倫理と呼んでいるが、それらを本当のところ人間とは思っていないという意味で他者と呼んでいるが、同じくらい自らの存在から抜け出す違和感に実存がある。2019/08/04
、
20
超難解なレヴィナス思想をレヴィナス自身が本よりはまあ分かりやすく語る哲学者レヴィナスと政治思想研究者のネモとの対話。全10章。特にレヴィナス思想の核となる概念2つについて、第3章の「Il y a」第7章の「visage」についての言及は大変ありがたかった。構成としては多分、1、2、3章が「Il y a」関連、4、5、6章が「愛撫」や「他者との関係」かな?なんかそんなので、7、8、9章で「visage」10章でまとめ。ここまで概要。以下諸概念について、間違ってるかもしれないけど まとめます つづく→2014/11/12
塩崎ツトム
19
『倫理』のテクストとして、無数の匿名の筆者により時代を切り取った「聖書」。他者の顔を見たときから、あなたは彼に対しての個人的「責任」が生じる。なぜ人を殺してはいけないか?それは他者の顔を見た以上、「殺さぬ」という、できるけどやらないという責任を一生負い続ける。偽善でないかぎり、善には決して終わりは訪れない。2024/05/01
しゅん
17
ラジオ番組の十個の対話。タイトルに含まれる単語だが、倫理を哲学の第一原理とする姿勢がまず描かれる。裸形の存在=非人称の体験が(アウシュヴィッツを背景とする)レヴィナスの主題であることは知っていたが、そこからどう立ち直るか、あるいはどう逃れるかという問い立てをしているレヴィナスははじめて感じ取ったかもしれない。ロシア小説が思想形成に影響していることがよくわかったが、そういえば彼はそもそもリトアニア(旧ロシア帝国領)の生まれだった。「他者の責任は自身の責任である」という断言が魅力的。2023/01/31