内容説明
1930年刊行の大衆社会論の嚆矢。20世紀は、「何世紀にもわたる不断の発展の末に現われたものでありながら、一つの出発点、一つの夜明け、一つの発端、一つの揺籃期であるかのように見える時代」、過去の模範や規範から断絶した時代。こうして、「生の増大」と「時代の高さ」のなかから『大衆』が誕生する。諸権利を主張するばかりで、自らにたのむところ少なく、しかも凡庸たることの権利までも要求する大衆。オルテガはこの『大衆』に『真の貴族』を対置する。「生・理性」の哲学によってみちびかれた、予言と警世の書。
目次
第1部 大衆の反逆(充満の事実;歴史的水準の向上;時代の高さ ほか)
第2部 世界を支配しているのは誰か(世界を支配しているのは誰か;真の問題は何か)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
藤月はな(灯れ松明の火)
68
ホッブスは「万民が自分の生のために他の万民の生を犠牲にすることがないよう、王権という絶対的な統治システムが必要だ」と説いた。そこには「人間は己を律することができない」という前提があった。オルテガもこれを踏まえてノンブルによる統治を説く。しかし、「人間は己を省みることで改善する」とも説く。現在に通じる、娯楽化化する衆愚政治、権利を過剰に求めるのに義務は果たさないということの釣り合いの取れなさ、大多数の意思が異質な意思を過剰に攻撃するという危険性、歴史の上に今の暮らしが成立しているという事実への無関心さを抉る2015/01/18
ナマアタタカイカタタタキキ
64
今から100年近くも前の著作であり、現代社会にそのまま当て嵌めて解釈するのは無理がある箇所もあるが、それでも多くの共通項は見出せる。ここでいう大衆とは、多数派であること自体や社会的な階級を指すのではなく、自分に多くを要求し、困難と義務を背負い込むか、或いは、凡庸な生を享受し、自らに特別な要求を課さないか、己の生に対する精神的態度によって判断される。結果として、後者に該当する人間=大衆が大多数であり、その大衆が社会的権力の座を占めているという指摘と、その危険性に関して説いている。それらの中に含まれる→2023/02/01
zirou1984
57
ソ連ではスターリン、ドイツでは極右政党が台頭した時期に執筆された啓蒙書。初読時には大衆批判のように感じたが今回の再読で批判の矛先は所謂「西洋の没落」的言説に向けられていることに気付き、同時にその主張がサルトルが陥った歴史主義の限界をも内包してしまっていることが見えてくる。とはいえ、精緻な思考と豊潤な知性に裏付けされた語彙によってアジテートしてくるその内容は晦渋ながら真摯であり、「文明とは、何よりもまず、共存への意思である」「思想とは真理に対する王手である」なんて言葉には胸が熱くならずにいられないのだ。2017/02/08
Aster
44
電車でちびちび読んでやっと読破。個人的に今まで読んだ現代批判の本としては1番的を得ていると思う。学問の重要性の部分は今の時代にも十二分に当てはまるし、自分は大衆ではないと思ってる人にも読んでもらいたい。最近読んだ本をすぐ売ってしまうのですが、これはずっと本棚に置いておきたいと思いました。2019/09/04
ビイーン
36
オルテガが分析の対象としたのは、第一次大戦後のヨーロッパ社会であったという。その頃、オルテガが警笛を鳴らした大衆支配の典型としたファシズムや社会主義は今や過去の歴史になってしまった。訳者はあとがきの中で今の日本こそがオルテガが警笛を鳴らす大衆化現象が顕著に表れているというが、私はそれを手放しで受け入れられないでいる。2018/12/20