内容説明
自然と人間の危機を問い直す立脚点はどこにあるのか?地球がつねにすでに我々の住む風土である以上、人間の倫理はそこから出発しなければならない。人間は生態系や社会の尺度から個人の意識の尺度まで、重層する尺度のなかを生きている。それゆえ、人間の生は生態系のレヴェルの尺度に「没入」してもいるが、同時にそこから意志的に「出現」できる実存的な存在でもある。自然を客体化したテクノロジーの思想や逆に自然を主体化したエコロジー的全体論を越えて、その彼方に近代性を越える風土の倫理学を構想する意欲的な試み。
目次
第1部 近代の限界(ヒューマニズムからその対極へ;母型の郷愁)
第2部 風土的なつながり(人間の住まいの尊重;「ここ」から宇宙へ―倫理の場所;帰属と自由)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Yoshi
1
ベルクのいうミリュー、エクメーネは風土と訳されるのでその違いが分かりづらく、デカルトやハイデガーの存在論、和辻の風土や西田の場所といった概念も踏まえていないと話が分かりづらく、大体として風土には倫理が伴い、存在者とその風土、場所といった話なのは理解できるのだが中々前知識が薄く理解が難しかった。 著作である風土の日本、風土としての地球とまた別の哲学者である和辻の風土、ハイデガーの存在論を予習してから読むともっと理解が深まりそうだと思った。 一度回ってもう一度読もうと思っている。2022/02/14
井蛙
0
発表のために再読。風土概念が直ちに倫理の問題を孕むことを指摘している。これはニーチェからドゥルーズまでを貫く問題圏であるが、ベルクは地理学者らしく、ニーチェやドゥルーズが脱出を図るまさにその地点から新しい倫理を構築しようとしている。2017/06/29