出版社内容情報
芭蕉の真骨頂は歌仙の捌きにこそある。芭蕉にとって歌仙とは、現実の世界から飛翔し風雅の世界にあそぶことであった。「七部集」を読みなおし、蕉風の核心に迫る。
内容説明
古池の一句で蕉風を揺るぎないものとし、「おくのほそ道」において「かるみ」という人生観に至った芭蕉はその後、さらに高く飛翔して風雅の世界に遊ぶ。芭蕉にとって風雅とは、いかなる境地であったのか。みずからの真骨頂と自負した蕉門歌仙を深くたずね、「虚に居て実をおこなふ」芭蕉の核心に迫る。
著者等紹介
長谷川櫂[ハセガワカイ]
1954年熊本県生まれ。東京大学法学部卒。読売新聞記者を経て、創作活動に専念。「朝日俳壇」選者、サイト「一億人の俳句入門」で「ネット投句」「うたたね歌仙」主宰、「季語と歳時記の会(きごさい)」代表、俳句結社「古志」前主宰、東海大学特任教授。『俳句の宇宙』で第十二回サントリー学芸賞受賞。第五句集『虚空』により第五十四回読売文学賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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るい
3
「俳諧」と「俳句」の違いをよく理解していなかった私にとって、芭蕉が重視したのは「俳諧」だと知り、衝撃的だった。「俳句」は「発句」であり、「連歌」の1句目である。それよりも、芭蕉は「連歌」そのものを捌くことを大切にしていたという。芭蕉は教育者でもあったのだと思わせられた。2018/08/13
良さん
1
俳諧の捌き手としての芭蕉を論じる。「捌き手」とは、音楽で言えばコンサートマスター、スポーツで言えばプレーイングマネージャーだ。コーディネートする、調和させる、この特異な役割について論じたものは珍しい。 【心に残った言葉】古典とは言葉の記憶である。…言葉の記憶とどうつきあうか。芭蕉が抱えていた問題を今を生きる自分自身の問題として読んでいただければ幸いである。(あとがき)2015/12/07
四季
0
【図書館】2017/08/03