内容説明
「ありのままの自分」を探さない。「救い」も「悟り」も求めない。自給自足と坐禅に生きるドイツ人禅僧が見出した、「今を生きること」に没頭するための知恵。
目次
序章 人生に軌道なし
1 本当の自分はどこにあるのか
2 もう一人の「私」に気づく
3 自分を手放す、周りを見る
4 大人になるということ
5 「誰からも認めてもらえない」というあなたへ
著者等紹介
ネルケ無方[ネルケムホウ]
1968年、ドイツ・ベルリンの牧師を祖父に持つ家庭に生まれる。禅僧。曹洞宗・安泰寺堂頭。ベルリン自由大学日本学科・哲学科修士課程修了。16歳で坐禅と出合い、1990年、京都大学への留学生として来日。兵庫県にある安泰寺に上山し、半年間修行生活に参加。1993年、出家得度。「ホームレス雲水」を経て、2002年より現職。国内外からの参禅者・雲水の指導にあたっている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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いろは
18
私は今、24才。自分の人生、生き方、仕事について、まさに、迷いながら生きているので、一文一文噛みしめるようにして読んでいた。この作品では、《本当の自分》や《なりたい自分》や《ありのままの自分》という現代で流行っている心の悩みである《自分探し》を西洋哲学、心理学、仏教という側面から考察していく。印象的だったのは、現代人において、『「自分の頭でものを考えない大人=大きな子ども」』ではなく、これからもっと知性と教養を深めて、自分の頭でものが考えられる《本当の大人》になっていかなければならない。精進していかねば。2019/01/06
さっちも
17
いかにして生きるか、何の為にいきるか。自分探しをこじらせ日本まで来た自身の体験と、こじらせた人々を世界中から受け入れた山奥の禅寺、安泰寺の住職としての体験をもとに書かれている。答えを後期ヴィトゲンシュタインと仏教の無常無我に得ている。前期ヴィトゲンシュタインは「私の言語の限界が私の世界の限界を意味する」というもので、(私)が語れることの全てが(私)の世界であり、語れないものは世界に含まれないということで「私は私の世界である(ミクロコスモス)」そうであれば(私)がなくなれば世界もなくなるはずで、「世界と生と2021/11/28
よしみん
8
キリスト教圏で、多くの哲学者を輩出しているドイツ出身の著者がなぜ禅僧に?と気になり手にとった。哲学、心理学、そして仏教から見た「自分」についての著者ならではの(著者は大学で哲学を学んだそう)考察が興味深かった。欧米人は他国の人に自分の国をどう思うかと聞くことは間違ってもないという。それは国と自分のアイデンティティを別物と考えているから。日本人が外国人に国が誉められるのを我がことのように喜べるのはなぜ?本の主旨から逸れて、そんなことが気になってしまった(^_^;)2016/05/06
marmelo
5
ポップな表紙からして初めは手軽な仏教入門書の類いかと思っていたのだが、西洋哲学概説のような章があったり、同じく曹洞宗禅僧 南直哉さんに共通するような死生観を持っておられることがわかったりと、良い意味で裏切ってくれた1冊。引用されている他の哲学者・心理学者・仏教者の著作も古本で探してみよう。2016/11/27
rigmarole
4
印象度B+。《本当の自分》を探して悩む者の多い昨今。「自己」の概念を巡って、前半では哲学や心理学での扱いをおさらいし、後半では仏教に根差した著者の考察を展開しています。最近読んだ他の著者にも近い路線の主張、「《本当の自分》は自分の外にも内にも存在するものではなく、自分で作っていくものである」、これを確認しました。ただ本書では、他者や世界との繋がりの中で自己は存在するという縁起の思想、今この瞬間の行動が自分であるということが強調されています。人生形成のために私が仏教から学ぶべきことは、ここにありそうです。2013/12/16