内容説明
「ユダヤ人に生まれた」というだけの理由で、子どもたちは収容所に入れられ、わずかな食事しか与えられず、一日十時間以上も働かされていた。そして殴られ蹴られて命を断たれてしまった…。
目次
第1章 アウシュヴィッツへの旅
第2章 百五十万人のアンネ・フランク
第3章 地獄を生きた子どもたち
第4章 いまも残る地獄の傷あと
第5章 テレジンの『絵画教室』
第6章 子どもたちが見ていた収容所の真実
第7章 真実を語りつづける人々との出会い
第8章 今、なぜホロコーストか…
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
319
第2次大戦下、ヨーロッパのいたるところに収容所が作られ、その総数は8000とも9000とも言われているが、アウシュビッツはそれら全体のいわばシンボルである。本書はチェコにあったテレジン収容所に奇跡的に残された子どもたちの絵と生存者によって語られるホロコーストの証言記録。テレジンには大人に混じって15000人の子どもたちが収容されていた。生存者は約100名。全てを奪われ(名前さえも)、死と隣り合わせで生きた彼らの貴重な体験は語り継ぎ、読み継がれていかなければならないと痛切に思う。強推薦!2016/09/12
テツ
19
テレジン強制収容所の過酷な日々を生き延びたこどもたちの人生。すぐ隣を暴力と死が吹き荒れる中を歩いていかなければならないのなら、日常的な感性や価値観を殺してしまわなければならない。そうしたことに何も感じないようにならなければ生きていけない。そしてその生き残るためだった変質は戦後の「まとも」な世界を生きる上で邪魔になる。いくつも収録されている強制収容所でこどもたちが描いた絵を目にしていると暗いきもちになるのと同時に、何があろうともこうした残虐な行為だけは繰り返してはいけないと強く思う。2021/07/13
Nobuko Hashimoto
17
著者はテレジン強制収容所の子どもたちが残した絵を紹介する活動を続けている。アウシュヴィッツはじめナチスドイツの収容所から生還した人々への聞き取りも続けている。テレジンはアウシュヴィッツなどへの中継地として使われたチェコの町。文化人や芸術家、老人、子どもが集められ、一時期は教育・文化活動なども行われたが、結局ほとんどの人は生還できなかった。しかし絵を描くことで希望をもち、生きる気力を保ち続けた子どもたちもいた。本書では、そうした人たちの体験を伝えている。林幸子『テレジンの子どもたちから』と併せておすすめ。2017/06/12
井戸端アンジェリか
16
アウシュヴィッツへ行ってきた著者に対して「よく行けたわね」と吐き捨てた生存者。死体処理係だった少年の泣けなくなった理由。想像を超えた生々しさに、興味本位だった自分がアホで恥ずかしい。そんな思いの中、後半に出てくる「ガス室はなかった」問題に脱力。ホロコーストに限らず、○○はなかったとか時々言う御方がいるね。ふ───ん、あるとかないとか言ってる場合か。実際に苦しんだ人がいた、考えるべきはそこだろ。 と思います。2017/07/31
たまご
12
読んでいると胸が痛くなる本。ユダヤ人の迫害にまつわる書籍は「霧と夜」に続く2作目。出生地や人種で人の判断や差別行為は絶対にしてならないと再認識。様々な逸話が出てくる本作だが最も印象的だったのは収容所の中で「VEDEM」という雑誌を作り、週次で発刊していたという少年の話。文字を使ったコミュニケーションは人間にしか出来ない行為であり、発刊行為自体が非人道的な扱いに対しての反抗だったのか、もはや自分には想像がつかない。このような歴史的な出来事は事実として後世に残すべきであり、今を生きる私達の使命である。2024/03/13
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- 和書
- 物流管理論 (改訂版)




