内容説明
関係者が明かす密約の真実。
目次
第1編 大平正芳と私
第2編 大平正芳の人と外交―インタビュー1(「若い頃から晩年まで哲学は変わらなかった」青年期から大蔵省時代まで(一九一〇年三月一二日‐一九五二年九月)
「田中角栄と会ったとき、お互い『この男は総理になる』と思った」衆議院議員として(一九五二年一〇月‐一九六〇年七月)
「じゃじゃ馬の池田さんを変えた」池田内閣官房長官(一九六〇年七月‐一九六二年七月)
「閣僚人事のために塀をよじ登った」第一次外相期(一九六二年七月‐一九六四年七月)
「常に歴史的、総合的に世界情勢をみていた」自民党筆頭副幹事長・政務調査会長(一九六四年七月‐一九六八年一一月)
「日中国交正常化への決意表明」通産大臣・宏池会会長(一九六八年一一月‐一九七二年七月)
「田中首相に日中交渉を決断させたのは大平」第二次外相期(一九七二年七月‐一九七四年七月)
「総理への道」大蔵大臣・自民党幹事長(一九七四年七月‐一九七八年一二月)
「世界の変化に応じた日米関係を考えていた」第一次大平内閣(一九七八年一二月‐一九七九年一一月)
「国益・省益にとらわれず地域構想を提案した」第二次大平内閣(一九七九年一一月‐一九八〇年六月)
「責任ある政治を死をもって国民に示した」他界(一九八〇年六月):「リベラルの哲学は一生かけて示すもの」大平没後(一九八〇年六月~現在))
第3編 日米間の「密約」―インタビュー2(「車の中でしょっちゅう『イントロダクション』とつぶやいていた」核密約;「大蔵省は『こっちが請求しなきゃいけない問題もある』と言った」財政密約)
著者等紹介
森田一[モリタハジメ]
1934年香川県坂出市生まれ。高松高校卒、東京大学理科2類入学、同大学法学部卒。1957年大蔵省入省、23年間のうち8年間を岳父大平正芳秘書官として過ごす。大平総理急死を享けて1980年衆議院議員となり、以後連続8回当選。第2次森内閣にて運輸大臣兼北海道開発庁長官。2005年引退。在職25年の表彰と旭日大綬章を受章
服部龍二[ハットリリュウジ]
1968年生まれ。京都大学法学部卒、神戸大学大学院法学研究科単位取得退学。博士(政治学)。中央大学総合政策学部准教授
昇亜美子[ノボリアミコ]
1972年生まれ。慶應義塾大学法学部卒、同大学大学院法学研究科単位取得退学。博士(法学)。政策研究大学院大学研究助手
中島琢磨[ナカシマタクマ]
1976年生まれ。鹿児島大学法文学部卒、九州大学大学院法学府単位取得退学。博士(法学)。日本学術振興会特別研究員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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