出版社内容情報
「子どもであること」「おとならしさ」について新たな見方を提示したランゲフェルトの教育思想を手がかりに、教育の現実や問題、教育学の課題の在処を重層的多次元的に示す。
まえがき 和田修二
第1部「子どもの人間学」から「臨床教育学」へ
□ランゲフェルトとの出会い
子どもの人間学、現象学的方法、教育責任(山崎高哉)
□「子どもの人間学」の新たな転回に向けて
ランゲフェルト‐和田の教えへのオマージュ(矢野智司)
□臨床教育学からみたランゲフェルト教育学(皇 紀夫)
第2部「大人であること」の意味
□子どもの泣き声に出会う
教育的自覚の淵源(鳶野克己)
□「子どもが忌避される時代」に教育に踏みとどまるために
ランゲフェルトの「おとなであることの意味」を受け取り直す(西村拓生)
□「子どもと共に存在すること」の〈誰〉を問う
今、「教育倫理」を語り直す(岡本哲雄)
□親であることの教育的考察
ヴァン=マーネンの教育学の基底として(村井尚子)
第3部「人間学」との対話
□教育における畏敬について
教育と権威が意味するもの(吉村文男)
□教育における人間学の役割
子どもの世界観をめぐって(松田高志)
□高坂正顕の教育現象学
日本の教育哲学とランゲフェルトの接点(宮野安治)
□教育学における人間研究と超越の問題
子どもと宗教をめぐって(川村覚昭)
第4部「教育の課題」への応答
□公教育における新しい経営手法の導入とその問題点
今こそ求められるランゲフェルト教育学の再評価(宮嶋秀光)
□日本の幼児教育に対するランゲフェルト教育思想の影響
雑誌『幼児の教育』と津守真(荒井聡史)
□ランゲフェルトとコメニウス
国際理解教育への貢献(井ノ口淳三)
□教育の現実のなかで教育を考える
青年の教育をめぐって(兼松儀郎)
□臨床教育学の原点と課題
私の臨床教育学体験(佐々木正昭)
第5部回想のランゲフェルト
□教育の辛苦と愉快について
子どもの教育に生きた小原國芳とランゲフェルト(米山 弘)
□オランダ研修とランゲフェルト家の生活(和田美奈子)
ランゲフェルト著作一覧
あとがき 矢野智司
目次
第1部 「子どもの人間学」から「臨床教育学」へ(ランゲフェルトとの出会い―子どもの人間学、現象学的方法、教育責任;「子どもの人間学」の新たな転回に向けて―ランゲフェルト‐和田の教えへのオマージュ;臨床教育学からみたランゲフェルト教育学)
第2部 「大人であること」の意味(子どもの泣き声に出会う―教育的自覚の淵源;「子どもが忌避される時代」に教育に踏みとどまるために―ランゲフェルトの「おとなであることの意味」を受け取り直す;「子どもと共に存在すること」の“誰”を問う―今、「教育倫理」を語りなおす;親であることの教育的考察―ヴァン=マーネンの教育学の基底として)
第3部 「人間学」との対話(教育における畏敬について―教育と権威が意味するもの;教育における人間学の役割―子どもの世界観をめぐって;高坂正顕の教育現象学―日本の教育哲学とランゲフェルトの接点;教育学における人間研究と超越の問題―子どもと宗教をめぐって)
第4部 「教育の課題」への応答(公教育における新しい経営手法の導入とその問題点―今こそ求められるランゲフェルト教育学の再評価;日本の幼児教育に対するランゲフェルト教育思想の影響―雑誌『幼児の教育』と津守真;国際理解教育への貢献―ランゲフェルトとコメニウス;教育の現実のなかで教育を考える―青年の教育をめぐって;臨床教育学の原点と課題―私の臨床教育学体験)
第5部 回想のランゲフェルト(教育の辛苦と愉快について―子どもの教育に生きた小原國芳とランゲフェルト;オランダ研修とランゲフェルト家の生活)
著者等紹介
和田修二[ワダシュウジ]
1932年生まれ。京都大学大学院教育学研究科博士課程中退。京都大学教育学部教授、佛教大学教授を経て、名古屋女子大学教授、京都大学名誉教授
皇紀夫[スメラギノリオ]
1940年生まれ。京都大学大学院教育学研究科博士課程中退。京都大学大学院教育学研究科教授、大谷大学教授を経て、京都大学名誉教授
矢野智司[ヤノサトジ]
1954年生まれ。京都大学大学院教育学研究科博士課程中退。京都大学大学院教育学研究科教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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