内容説明
「ことば」は人の「光」なりき―。電話の登場からケータイの普及まで通話機器の発達は、われわれの言語空間をどう変えたか。「声」という共鳴の身体技法獲得以後の人類史をふまえ、「社会」を担う次世代に説く「ことば」の歴史社会学。
目次
ことばは「身体」である
ことばは「社会」である
ことばは「空間」である
ことばは「歴史」である
メディアとしての「ケータイ」
「二次的な声」と分裂する空間
空間共有の成功と失敗:テレビ電話の示唆
留守番電話と間違い電話:浮遊する声
他者の存在の厚み:あるいは第三者の位置
呼び出し電話の消滅と電話の家庭化
移動する電話:あるいは電話の個人自由
面で触れ合う/線でつながる:他者関係の変容
ケータイメールの優越:「文字」の距離を選ぶ
ケータイで書く:「文字の文化」からの断絶
ケータイ化する日本語:ふたたび「身体」としてのことばに
著者等紹介
佐藤健二[サトウケンジ]
1957年生まれ。東京大学文学部社会学専修課程卒業、同大学院社会学研究科修士課程修了、東京大学教養学部助手、法政大学助教授を経て、東京大学大学院人文社会系研究科教授(社会学、文化資源学担当)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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寛生
15
【図書館】言葉を/と考えていくうえで大切な一冊となった。電話を常に身につける、つまり携帯やスマートホーンが常に我が身とあることにより、《言葉》がどう変わってきたのか?他者の肉体がそこにないにもかかわらず、電話口で話す事により、ことばの皮膚への感触的な感覚としてのことばの時空の変化の流れの中で、ことばとしての声と身体性はどのように考えるべきか?スマートホーン、携帯は我々を自由にしたのか、はたまたその逆か?いつでもどこでも通話ができる便利なのか、それとも逆にいつでもどこでも我躰は携帯に縛られているのか?2014/12/02
kaze
12
★★☆ 「ことば」の持つ役割から論じ始める迂遠とも言える構成に戸惑ったけれど、「ことば」の身体性、ケータイというメディアによる他者の存在感の衰弱、という視点は新鮮で興味深かった。筆者は言葉を変換する力や想像力が衰えてきていると指摘し、それは言葉を身につける力が衰弱しているからだと説明している。自分自身の感覚でもその実感はあるし、子供達を見ていてもその指摘は首肯せざるをえない。現在の携帯からスマホ、メールからLINEへというさらなる状況の変化に伴う認知の変化についても論じて欲しいと思った。続編を待つ。 2014/05/21
三柴ゆよし
11
家人の用向きで買った本だが、思いのほか熱中して読んでしまった。ケータイというメディアの特徴を論じた本でもなければ、たとえばネットスラングにみられるような日本語の変化を論じた本でもない。ケータイあるいはその前段階にある固定電話という媒体=道具を通して、私たちの「ことば」をめぐる身体をめぐる認識の変容を論じた本である。身体というよりも、むしろ空間といったほうがいいかもしれない。筆者の専門は歴史社会学だが、本書では身体論の立場に肉薄しており、これは私の修士論文のテーマでもあったので非常に興味深く読んだ。2014/03/02
nnnともろー
4
10年くらい前の本。今ならスマホ。ことばの身体性の回復。電話の普及から述べられているところが良かった。他者性の希薄化は益々進行しているだろう。2023/08/15
貧家ピー
3
携帯電話の出番が少ないが、「ことば」論。 メールで終わっているが、チャット文化下での論が気になる。 「対人関係の希薄化」という単純な一般化ではなく、 既知の他者との関係において「キャラ」の使いこなしや、常時接続にともなった交流の多様化が観察されるが、その外側に拡がる未知の他者との関係においては「希薄化」と論じても的外れではないような衰弱が進行、という点が興味深かった。2017/09/13