一九六八年と宗教―全共闘以後の「革命」のゆくえ

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一九六八年と宗教―全共闘以後の「革命」のゆくえ

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  • サイズ 46判/ページ数 370p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784409420263
  • NDC分類 162.1
  • Cコード C3014

出版社内容情報

「一九六八年の革命」と「宗教的なもの」は、いかに関係を取り結んだか。



近代宗教史研究と社会運動史研究の架橋により、既存の枠組みでは捉えきれない六八年の運動の秘められた可能性を問う画期的共同研究。時代を牽引したイデオローグが見せたスピリチュアルなものやオカルトへの接近、そして宗教者たちの闘争、それらが持つ意味は何だったのか。



「近年、フランス現代思想やポストコロニアル批評の代表的論者たちが、「宗教の回帰」に至っている。いずれもポストモダニズムのアポリア(例えば脱構築と批判主体のジレンマ)の徹底あるいは超克として、各々の歴史的伝統に立ち返って「宗教」や「霊性」に着目する点に共通性がある。これと相似したことが、日本の〈一九六八年〉以後でも起こっていたのではないか。だが、それが「革命」の具体的な「形式」の問題であるならば、単にアナロジーのみで理解して事足りるわけにはいかない。本書はこのことをポストモダニズムの動向の類比や適用ではなく、〈一九六八年〉の具体的な事例から検討しようとしているのである。」(本書より)



◎目次

序章 「近代主義を超えて」を超えて(栗田英彦)

第Ⅰ部 一九六八年を捉え直す――芸術宗教・死者・ファシズム

 第一章 安保・天皇制・万国博(?秀実)

 第二章 高橋和巳の全共闘運動と一九六八年前後――未成へと向かう臨死者の眼(川村邦光)

 第三章 橋川文三の「超国家主義」研究と折口信夫―─「ファシズムと異端神道」論・再考のために(斎藤英喜 )

第Ⅱ部 一九六八年から新宗教・ニューエイジ運動へ

 第四章 神々の乱舞―─一九六八年革命と「民衆宗教」観の変遷(武田崇元)

 第五章 一九六八年の身体―─津村喬における気功・太極拳(鎌倉祥太郎)

 第六章 革命的抵抗の技術と霊術――戸坂潤・田中吉六・太田竜(栗田英彦)

第Ⅲ部 一九六八年の宗教――キリスト教から考える

 第七章 東大闘争における無教会運動の活動とその背景(エイヴリ・モロー)

 第八章 観念と現実のはざま――─ 田川建三における大学闘争と宗教批判(村山由美)

 第九章 日本基督教団の「一九六八年」――万博をめぐる闘争から(塩野谷恭輔)

 終章――もうひとつの全共闘以後(栗田英彦)

内容説明

「一九六八年の革命」と「宗教的なもの」は、いかに関係を取り結んだか。近代宗教史研究と社会運動史研究の架橋により、既存の枠組みでは捉えきれない六八年の運動の秘められた可能性を問う画期的共同研究。時代を牽引したイデオローグが見せたスピリチュアルなものやオカルトへの接近、そして宗教者たちの闘争、それらが持つ意味は何だったのか。

目次

「近代主義を超えて」を超えて
第1部 一九六八年を捉え直す―芸術宗教・死者・ファシズム(安保・天皇制・万国博;高橋和巳の全共闘運動と一九六八年前後―未成へと向かう臨死者の眼;橋川文三の「超国家主義」研究と折口信夫―「ファシズムと異端神道」論・再考のために)
第2部 一九六八年から新宗教・ニューエイジ運動へ(神々の乱舞―一九六八年革命と「民衆宗教」観の変遷;一九六八年の身体―津村喬における気功・太極拳;革命的抵抗の技術と霊術―戸坂潤・田中吉六・太田竜)
第3部 1968年の宗教―キリスト教から考える(東大闘争における無教会運動の活動とその背景;観念と現実のはざま―田川建三における大学闘争と宗教批判;日本基督教団の「一九六八年」―万博をめぐる闘争から)
もう一つの全共闘以後

著者等紹介

栗田英彦[クリタヒデヒコ]
1978年生。佛教大学、愛知県立大学、愛知学院大学等非常勤講師、名古屋弁証法研究会主宰。東北大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(文学)。宗教学、思想史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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恋愛爆弾

8
第一章「安保・天皇制・万国博」(絓秀実)だけでも買って読む価値がある。安倍政権=「数」に「数」でなく「理」なるボンヤリした正しさで対抗しようとし、象徴天皇制につけ込まれた10年代の無様な結果を受けた20年代の「マイノリティ」(=数)の戦略にはやはり天皇制のクィアな「雅」がつきまとう。そこに必要なのは「芸術宗教」化された「ボヘミアン」的前衛(中野重治的な)ではなく、花田清輝-武井昭夫的な「党」なのだ。ゆえに『花田清輝』で絓が暴いた花田の「共同制作論の錯誤」の問題に、もう一度立ち返るべきだと思った。 2025/05/01

Go Extreme

1
全共闘以後の革命のゆくえ 安保・天皇制・万国博 革命の亡命先 新宗教・精神世界 オウム真理教事件という転換点 ポストモダニズムの受容 日常性批判・身体論 自己否定の思想 高橋和巳 大衆論・共同幻想論 吉本隆明 キリスト教批判 田川建三 日本ファシズムの精神構造 折口信夫 民衆宗教研究 梅原正紀 アイヌ革命論 太田竜 野性としての学生運動 武井昭夫 万博とキリスト教館問題 反天皇制運動 呪術排除から内在的理解へ ノンセクト・ラジカル 東大紛争と無教会派 近代合理主義への批判 講座派と労農派 1968年の遺産2025/04/21

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