内容説明
キリスト教が日本文学の担い手たちに与えた影響は測りしれない。では聖書は詩にどのような影響を及ぼし、詩人は聖書をどのように表現したのか。信仰者であり優れた実作者である著者のみがなしうる、透徹した理解。
目次
序章 新體詩の勃興
第1章 近代詩を開拓した先駆者たち
第2章 「なのはな」の詩人と「ほのお」の詩人
第3章 「表現する詩人」と「物語る詩人」
第4章 科学や数学に精通した詩人たち
第5章 エバやマリアに共振する詩人たち
第6章 意味場の詩人と叙物詩の詩人
第7章 四季派・叙情・童謡・牧師詩人たち
終章 聖書の余白に贖われるプネウマの風
著者等紹介
柴崎聰[シバサキサトシ]
1943年、仙台市に生まれる。1967‐2008年、編集者として活動。現在、大学講師。博士(総合社会文化)。日本現代詩人会会員、日本詩人クラブ会員、日本キリスト教詩人会会員、日本キリスト教文学会会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
一郎二郎
1
暮鳥。胸の上に立てる十字架が肉心の蟲をひねもす刺す/八木重吉。壺のきざみ主。光の悲しみ/石原吉郎。4隅に火の杭を打つイエス/島朝夫の姦淫の女。あの人が名前を消す事は死を、書くことは生を意味していた。女。天と地のあわい。私に触れるな、と言われてから、右手は誰かの疲れた指を、左手は温かい手に握られている/安西均。12才のイエス。天に激しく問うごとに背丈が伸びた。言葉は少年の背丈を越えた。「わたしははぐれたのてはない、父の家にいたのだ」/片瀬博子と堕罪。見えない汚しの手。無色の毒。何を見ようとしたのかソドム//2023/03/11
-
- 和書
- さくらの丘で