出版社内容情報
栗田隆子[クリタリュウコ]
著・文・その他
内容説明
私にとってフェミニズムと信仰はどちらも必要なものです。著者が、言葉になる以前の「呻き」としか言いようのない地点から「宗教」「信仰」そして「フェミニズム」と出会う自らの生の歩みを辿る。登校拒否とシスターとの出会い、洗礼と教会、進学と恋愛、研究への失望と就職の困難、運動と組織などの問題をめぐり、読者にあてた手紙のようにして綴る。話題を呼んだ『ぼそぼそ声のフェミニズム』に次ぐ待望の第二作目。
目次
おやつと修道院
祈りとの出会い
“私”が“私”でなくなること
母への怒り…生きることは怒ること
正直であるということ
「人」とみなされない存在との出会い
聞くということ
フェミニズム―「あなた」に出会いなおす
友だち
「教会」とはなんでしょう〔ほか〕
著者等紹介
栗田隆子[クリタリュウコ]
1973年生まれ。大阪大学大学院で哲学を学び、シモーヌ・ヴェイユを研究。その後非常勤職や派遣社員などのかたわら女性の貧困問題や労働問題を中心に新聞・雑誌等で発言。2007年からは雑誌『フリーターズフリー』の編集委員の一員として3号まで刊行。2008年「女性と貧困ネットワーク」呼びかけ人となる。2014年から17年まで「働く女性の全国センター」(ACW2)代表(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ネギっ子gen
44
【宗教は居場所であり、「祈り」は心身の全体重を神にかけたもの】『ぼそぼそ声のフェミニズム』に続く書。著者は、言葉になる以前の「呻き」としか言いようのない地点から、「信仰」と「フェミニズム」が出会う自らの生の歩みを辿る。登校拒否、研究への失望などについて綴られた『福音と世界』連載を単行本化。<教会で問題提起された時に「祈りましょう」という聖職者の言葉で議論中断、問題がなかったことにされてしまったケースもあるようで、そうなると「祈り」は人の意見を聞かないためのツールと成り果ててしまいます>に、激しく頷く❗ ⇒2024/05/13
今庄和恵@マチカドホケン室コネクトロン
15
なんたるエンパワメントの書!祈りはお願いではない、ということはよく言われるけど、絶対に受け止めてもらえると安心できる場があれば、自分の思考の皺の間にまで入りこんでいる見えないものを出せるようだ。キリスト者に置いてはその場は「神」であり、思考を引きずり出すことを「祈り」というのだなと理解。しかし修道女というものは男性と切り離されているが故に尚更、男性優位を炙り出し臭いものに蓋をすることになっているのではモゴモゴ。2024/07/01
やっぱ犬が好き♡
7
カトリックとの邂逅について語る章を繰り返し読んだ。不登校状態に苦しんだ著者は、当時出入りしていた修道院で、神の前で自分の弱さを認め、呻き声のような声で語る。「自分の感情や行動へのコントロール意識」を手放し、自分に嘘をつくことをやめたそのとき、「神の前で【自分に正直であること】の重み」を知ったという。自分の心身をコントロールしようと四苦八苦し、自分を欺き、そのせいでかえって事態を拗らせてきた私には、このエピソードがたいへん興味深く感じられた。「自分の本音をよく知り、正直である」ことは強さなのだと思う。2023/02/24
pushuca
2
この本は著者栗田隆子さんの切実で赤裸々な、魂の記録だ。手紙の形式で書かれている。だが、差出人に私は含まれていない。私は学校が好きであり、宗教とは(これからも)無縁な人間だ。だが、そんな私にも著者の叫びは届いた。2023/01/09
瀬希瑞 世季子
1
呻きと神は左側のヘンの部分が違うだけ。2022/11/20