出版社内容情報
ソクラテスの「徳」は、具体的な場面において個々人の主体性を問うもののゆえに、三人称の客観的真理にはなりえない。人称や格変化などの分析から言語に表出する理性の働きを抽出し、「いま・ここ・わたし」の判断と選択としての倫理を剔出する尖鋭な試み。
内容説明
この世界の欺瞞に立ちむかう学問は、「哲学」しかない。欺瞞に満ちたことばが飛び交うこの社会で、正しい者であるために。
目次
第1章 理性の中の「個人」と「宇宙」と「社会」(心は、感覚と、「ことば」で動く;「ことば」が「理性」である ほか)
第2章 ことばの社会性と欺瞞性(ソクラテスのように考える;哲学と科学の識別課題 ほか)
第3章 「わたしの世界」を見つける(「わたしの世界」の独立性;「わたしの世界」の孤独 ほか)
第4章 ソクラテスの「わたしたちの世界」(「ソクラテスのように」考える;ソクラテスが起訴された原因 ほか)
著者等紹介
八木雄二[ヤギユウジ]
1952年、東京生まれ。慶應義塾大学大学院哲学専攻博士課程修了。文学博士。専門はドゥンス・スコトゥスの哲学。現在、清泉女子大学非常勤講師、東京港グリーンボランティア代表。東京キリスト教神学研究所所長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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逆丸カツハ
27
自分が考えた関係の哲学とも、現象学から生まれてきた哲学とも、全く異なる流れにある哲学であり、真に生きるための哲学だと思った。きっと自分はこの哲学に語られる幸福にいたることは決してできない。ただ、至ることができないことを理解することに安らいでいる。2024/04/10
あーしぇ
2
おもしろい。「わたし」と「わたしたち」の混同。「わたしの正義」を「わたしたちの正義」へと飛躍させる傾向のある、ふだんから(意図せず)主語の大きな方々にはぜひ読んでいただきたい。が、そういう人は読まないだろうなあ。 ある人の抱く「わたし」=「わたしたち」と、他者の抱く「わたし」=「わたしたち」、どちらもそれが人間一般の理想だと思っているから、少しでも違いがあると(もちろん違うのだが)当然のように対立した感情も生まれてくる。人間社会のあちこちで見られる分断の一因をこのように言語化されると、とても腑に落ちる。2022/11/12
キヨとも
1
個人的には少し難解だったが部分的に読みました。 権力者の言葉は拡散されやすく対立する言葉が無ければ人の心を支配する。確かにと思いました。 独裁者になるには情報を支配する事が一番だと。 不安は安心を求める。真実の言葉を求めて コロナ禍の頃を思い出した。皆が正しい情報を求めた事とかぶりました。 知識と徳の違いは知識は分かっていること。他人に教える事が出来るが、徳は教える事が出来ない。論じる事は出来ると。少し難しいが個人的に徳を得ようと本を読むだけでは身に付く事が出来ないという事なのではと思う。 2024/01/07