内容説明
なぜ秋葉原はオタクの聖地へと変貌したのか。なぜパソコンマニアは、アニメ絵の美少女を好んだのか。なぜ“趣味”が都市を変える力を持ったのか。秋葉原の急変を多角的に検証し、そこに立ち現れた人格・趣味・場所の革新的な関係を負うオタク論と都市論が交差するクロスオーバー評論。文庫化にあたり、アキバブームとその後の状況論を増補。
目次
序章 萌える都市
第1章 オタク街化する秋葉原
第2章 なぜパソコンマニアはアニメ絵の美少女を好むのか―オタク趣味の構造
第3章 なぜ家電はキャラクター商品と交替したか―“未来”の喪失が生んだ聖地
第4章 なぜ“趣味”が都市を変える力になりつつあるのか―技術の個人化が起こす革命
第5章 趣都の誕生
増補:第6章 趣味の対立
著者等紹介
森川嘉一郎[モリカワカイチロウ]
1971年生まれ。明治大学准教授、桑沢デザイン研究所特別任用教授。早稲田大学大学院修了(建築学)。ヴェネチア・ビエンナーレ第九回国際建築展の日本館コミッショナーとして『おたく:人格=空間=都市』展を制作(星雲賞受賞)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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サイバーパンツ
10
秋葉原の都市構造をオタクの趣味構造から考えるオタク都市論。家電の「神器」としての光彩の喪失や首都東京の高度経済成長期の頃のような活力の喪失から《科学の発展によって築かれる輝かしい未来》という大きな物語が喪失したことにより、パソコンマニアの科学少年たち「オタク」はそれを補填するかのごとく、失われた〈未来〉の憑代としてアニメやゲームといった趣味にのめり込んでいった。秋葉原もそれと呼応するかのように、オタクの部屋が拡張するかのように、パソコンの街からオタクの趣都へとその容貌を変化させていった。2016/06/04
筑紫の國造
8
2000年代前半の「アキハバラ」に関する批評。電気街からオタク趣味の街に変化する過程と理由、いわゆる「オタク」とパソコン趣味の親和性など、アキハバラと「オタク」に関する観察が展開される。なかなか面白いと思う反面、やや強引に議論を展開する面も否めず、その部分は説得力に欠ける。アキハバラは「個室」が街に展開した場所であるという指摘は面白かった。この本が出てからもアキハバラの街は変化を続けており、違った様相を見せている。果たして今後のアキハバラはどのような姿になっていくのか。2024/12/02
nzmnzm
4
男女ではない第三の性として斉藤環が提唱する「オタク」による都市デザインとして、「官」「民」ではなく「個」主導の都市デザインとして、森川は秋葉原の都市デザインを趣都と呼ぶ。モダニズムやそれ以前の建築(男性的、政府主導)にも、ポストモダニズム(女性的、大資本主導)にも含まれない、趣味のコミュニティによる都市デザイン。書籍としては雑誌に掲出された論考の寄せ集め感があるが、それだけに様々な脱線があって面白い。だがオタク主導を「個」主導と呼ぶのは恐らくあまり精確ではないだろう。かつてあった表現を呼び起こすならそれは2010/01/12
ああああ
3
リアルなディテールに乏しいマンガの世界は、特記なき限り東京であるこれは現在の東京が、のっぺりとしたマンガの世界と近似してきていることの裏返しでもある。東京は東京として描出されるのではなく、むしろ、特別な場所的描写がなされない場合にそこが東京なのである。ゆえに、現在の東京の実状に親和する物語というのは、SFスペクタクルでもオカルトでもなく、半径一キロメートルの箱庭の中で展開されるような反復的日常の物語なのだと言える。P.1332024/06/27
富士さん
3
特に「オタク」なる用語を連呼しながら、浅い理解を前提にして、都合のいい例を引いてみせるだけの現代思想空中戦がとてつもなく鼻につきます。何か面白いことを言われているのかもしれませんが、内容が入って来ませんでした。安易な価値づけをすれば華麗に論じたように見えますが、その実すっからかんなものを積み上げるだけで、経験的にも実証的にも驚くほど使えないものになってしまいます。もっと謙虚に、秋葉原という街の歴史と時代の関係、そこに関わる人たちと帯びたイメージを追っていくだけで、十分魅力的な研究になったと思うのですが。2022/04/23
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