出版社内容情報
ラカンの地道な業績の積み重ねは、いまや精神医学という狭い専門領域を越え、人間理解に新たな次元を開いたものとして集中的な脚光を浴びている。
本書はかれの過去30年間にわたる彫心の思想的歩みを余すところなく伝える画期的な論文集。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
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いわゆる象徴界について取り上げ出す。が難解。ラカンにおいて言語学のタームが一般的な言語ではなく無意識の表現にあてがわれる 。そのためラカンは普通では構造はラングにおいて語られるが、ランガージュの構造という表現を使っている。意識的な言語の主体をmoi自我、無意識の表現の主体をje私という言葉で分ける。こうして所謂言語の獲得というのは無意識の表現を断念する形で獲得されS/(斜線を引かれたS)jeとmoiに分裂した主体というラカンの用語に近づける。無意識の表現にも構造がある。シニフィアンとシニフィエ、カンユ隠喩2018/09/24
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母の愛の要求を形作る。ここまで無意識の表現は母親を巡ってなされているが、無意識の私が構成される場を大他者、大文字のAで表す。ここでシェーマLが出て来て、患者の自我aと分析者の自我a´で交わされる言葉の背後に、患者の意識しない無意識の表現たる症状が意味をもつ場所Aを探索して分析を進めていく図式が構成される。後者、無意識の統辞法に関してはフロイトの『夢判断』や『日常生活』などに例が豊富だが、ラカンはカンユによってシニフィアンとシニフィアンの繋がり一般=連合関係統合関係(例青なら赤、白やが好き、くぬる)一般を隠2018/09/24
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といった文法表現(統辞法)である。後者についてはフロイトの『夢判断』や『日常生活』で明らかにされているが、前者の用法は独特で主体の理論をおう必要がある。赤ちゃんは親の保護を必要とするが、赤ちゃんは内部に欠如=欲求を感じると泣き出すなどし、母親がオムツを変えたり、ミルクを飲ませたりし、欲求は母親への要求へとなる。欲求がシニフィエにしシニフィアンが母の解釈物となる。これに応じて身体が性感帯といった形で文節される。(精神分析ではエディプス以前に性差はなく男でも女でも)赤ちゃんは母親に情愛的な愛着を抱くが要求を通2018/09/24
末定智弘
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あとひとつ!2012/05/16