内容説明
世界には時間的な始まりがあるか、空間的な限界はあるか。世界は無限に分割できるか、それ以上は分割できなくなるのか。人間に自由はあるか、それとも必然的な自然法則にしたがうだけなのか。そして、世界には必然的な存在者(=神)が存在するのかどうか。この四つの「二律背反」を考察する。
目次
第1部 超越論的な原理論(超越論的な論理学)
著者等紹介
カント,イマヌエル[カント,イマヌエル][Kant,Immanuel]
1724‐1804。ドイツ(東プロイセン)の哲学者。近代に最も大きな影響を与えた人物の一人。『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』のいわゆる三批判書を発表し、批判哲学を提唱して、認識論における「コペルニクス的転回」を促した。フィヒテ、シェリング、ヘーゲルとつながるドイツ観念論の土台を築いた
中山元[ナカヤマゲン]
1949年生まれ。哲学者、翻訳家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ヴェルナーの日記
212
本作品の第5巻。前巻で”理性の誤謬推論”を使用して、心理学(魂に実体があるか・単純な構造か・破壊できないか・不死として身体が無くなっても滅びないか)を当時の形而上学の霊魂論を批判した。本巻では、世界(宇宙)について考察する。1.世界の時間・空間に端緒(始まりと終わり・有限か無限か)。2.事物を分割していくと、究極的に単純なものとなるのか、複雑なものなのか。3.人間に自由があるのか、それとも自然の必然的な法則に従うだけなのか。4.世界の必然的な存在者(神)は存在するのか、否か、を問題として取り上げている。2022/01/19
ころこ
50
アンチノミーの論証には背理法が用いられています。つまり、Aというテーゼの反Aは間違っている。従ってAは合っている。これは一見してAの正しさを示していないでしょう。二項対立の中では必然的にAか反Aが正解ですが、これらが二項対立だということがどうして言えるのでしょうか。因みに近代科学においては反証によって間違いのみ指摘することができ、正しいということはできません。そもそもカントの哲学は人間のOSがこの様な問題設定について、いかに正しいといえるのかということを探究していたはずですが…(事実問題ではなく権利問題)2022/05/12
壱萬参仟縁
49
自由というのは、法則にしたがわない能力であり、自然と並べて考えることには無理がある(97頁下段)。すべての場合について、何が 正義であり不正であるか(傍点)は、規則にしたがって知りうるのでなければならない。義務だから(140頁~)。自由の実践的な概念は、 自由という超越論的な(傍点)理念に依拠していること。 実践的な意味での自由(傍点)は、選択意志(ヴィルキュア)が、感性的な衝動によって生まれる 強制(傍点)から独立していることである(236頁)。自由の多様な側面を垣間見れた箇所。2022/07/27
かわうそ
40
これまで過ぎ去った時間や空間を省みて、世界は有限であるとは言えないのです。なぜなら、過ぎ去った時間や空間とは経験的な概念であり、無限とは感覚能力の範囲を遥かに超えるものだからです。一方で世界は有限であるということも言えません。なぜなら、世界の絶対的な限界というものは経験的に認識することは決してできないからです。ゆえに世界とは端緒を持たず、空間的には限界を持たないものだという消極的な結論になります。端緒があるとすれば以前に空虚な時間を想定しなければいけませんが空虚な時間が原因を生み出せるはずもないのです。2023/01/03
かわうそ
37
『だが理性そのものは時間のうちに存在するものではなく、それまで存在していなかった新しい状態に入るということもない。理性は新しい状態を規定するものであるが、新しい状態において規定されるものではない。』271 つまりは自由と自然の必然性は両立すると言うのがカントの結論だ。理性が不可侵なものであることを彼は嘘をついたものは理由がなんであろうと咎められると言う例を用いて説明する。感性の条件とは独立しているのが理性であり、これがカントの実践理性批判につながることは言うまでもない2024/10/16