内容説明
学校不信が止まらない。保護者たちは、右往左往の教育改革を横目に、「わが子だけを良い学校に」と必死だ。そのニーズに応えて、「百ます計算」や「親力」といったメソッドが次々と紹介され、指導法のカリスマが英雄視される。勉強の目的といえば、「得になるから」「勝ち組になるため」に収束した感があり、すこぶるドライな経済的価値観が目立つようになった。だからこそ、本質から問いたい。「なぜ勉強させるのか?」と。本書は、「プロ教師の会」代表の著者が、教職生活四十年間で培った究極の勉強論である。
目次
プロローグ―そして「学力向上」だけが残った
1章 時代論1―「お受験キッズ誌」が映し出すもの
2章 時代論2―ゆとり教育は案外、将来を見据えていた
3章 学校論1―それでも学校を信じなければならない訳
4章 学校論2―塾・予備校は学校改革のモデルとなるか
5章 指導論1―「百ます計算」・陰山メソッドの問題点
6章 指導論2―「親力」ブームの誘惑に耐えられるか
7章 子ども論1―世界の子どもと比べてみる
8章 子ども論2―「なぜ勉強するの?」と問われたら
エピローグ―勉強するにも、させるにも覚悟がいる
著者等紹介
諏訪哲二[スワテツジ]
1941年千葉県生まれ。「プロ教師の会」代表。日本教育大学院大学客員教授。東京教育大学文学部卒業。埼玉県立川越女子高校教諭を2001年3月に定年退職(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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としP
14
勉強とは高偏差値、将来の高収入のためだけにあるのではなく、むしろ、近代社会の一員となるためにある。その為に社会の先輩である教師から知識を学びとるという姿勢が必要だということ。2020/07/25
生ハム
9
勉強って言うのは、自分を組み替えるために行うんですね。 だからこそ、すごいパワーが必要だし、ぶっちゃけめんどくさいし、 価値観変わるし世界の見え方変わるから不安になるんですね。 でも、あるいはだからこそ、それを乗り越える必要があるんですね。 「社会」で生きるためには、ひとまずはそこに適応した状態にならないと生きていけないのが現状ですし。親は子に対して決定的たりえない、という言葉も印象的。 2013/04/09
ひろき
8
学力向上だけが教育の目的で良いのか? 昨今の教育再生は学力向上を目的としている。しかし本当にそれで良いのだろうか?人間と他の動物の違いといった哲学的視点から、どうして勉強をさせるのか?という問いにアプローチ。著者いわく教育の目的は「知識を学ぶ派」と「人間として成長派」がある。著者は後者。人間が人間であるために教育は必要。教育には相当の覚悟を要する。概ね賛成できる意見。自分も勉強を通して勉強がしたくなった。学力至上主義にかげりを感じているのなら、おススメの一冊です。2011/09/29
Humbaba
8
学校とは何をするための施設であろうか.勉强を教えればいいのか,それとも人間教育が必要なのか.人間教育が必要であるとして,今の学校に関する法制度はそれが可能なものになっているだろうか.私たちは,両手両足を縛りながら,さらにタスクを積みましているのかもしれない.2011/04/20
hippos
5
「子は親の思いどおりにはならないし、あえて言えば、思いどおりにしようとしてはいけない。..子はどんなに未熟であろうともひととしての尊厳を持っている」という考え方に基づけば「なぜ勉強しなくてはならないか?」に対し”正しい答えはない"という筆者の主張は理解できる。2016/05/14