内容説明
「問う」という行為を通して見えてくる仏教とは何か―同時代を共有する二人が大胆に提示するスリリングな対談。
目次
第1章 “異界”
第2章 言語
第3章 出家
第4章 慈悲
第5章 “近代”
第6章 師
第7章 正法
著者等紹介
南直哉[ミナミジキサイ]
1958年(昭和33年)、長野県に生まれる。早稲田大学第一文学部美術史学専攻卒業。大手百貨店勤務を経て、1984年に曹洞宗で出家得度。同年、福井県にある大本山永平寺へ入門、2003年まで修行生活を送る。乞暇後、東京都港区の青松寺に立ち上げた超宗派の若手僧侶の修行道場「獅子吼林サンガ」主幹を経て現在、福井市霊泉寺住職、青森県むつ市の恐山菩提寺院代(山主代理)をつとめる
玄侑宗久[ゲンユウソウキュウ]
1956年(昭和31年)、福島県に生まれる。慶應義塾大学文学部中国文学科卒業。さまざまな仕事を経験したのち、1983年に京都の天龍寺専門僧堂に入門する。1986年より福島県三春町の福聚寺(臨済宗妙心寺派)副住職となり、現在にいたる。僧職のかたわら執筆活動を続け、2000年のデビュー作『水の舳先』(新潮社)が芥川賞候補となり、翌2001年に『中陰の花』(文藝春秋)で同賞を受賞する(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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Tadashi_N
13
視野の広い僧侶なのか、僧侶だから視野が広いのか?2016/02/05
maki_kus
4
とても興味深く読み進めました。著者のお二方はこの対談を「遊戯(ゆげ)」と書いておられたが、僕は読んでいる間、心が荒波に晒され続けている様な感覚に陥りました。繰り返し読む一冊になりそうです。2010/03/09
さっちも
3
ひじょうに切ない状況に置かれたときに人はどう考え、どう対処していけばいいのか。ほとんどの宗教は独自の道徳観で紋切り型に応えようとする。「これが正解!」があるから一神教たりえるし正しさも生まれる。しかし仏教は独自の認識と考え方の方法論をもとに、自分なりの答えをだしなさいとなる。「答え」はないから最適解を導くために「問い」続けるしかない。正しさなど一面でしかないのだから。これでいいのか、、、と問い続けるしかない。なにか一つの答えに安住することなく問い続けるしかない、そう思えた。誠実な人柄に敬服。今年のベスト2015/12/03
yuzuki
3
[☆☆☆]玄侑さんの懐の深さ、南さんの鋭さが際だつ対談集。お二人の知識の幅広さにただただ圧倒される。南さんの言葉は鋭いが故に、ところどころ危うさも散見される。2008/11/03
カツドン支持者
2
日本仏教の今のありように批判的で原理主義な初期仏教者に近いと自覚しながらも、あくまで日本大乗仏教の中にいてそれを肯定していく、南老師に凄みを感じる。白黒はっきりつけて日本の仏教なんて仏教じゃねぇと切り捨て背を向けるのは簡単だけど、ぎりぎりの所で踏みとどまって日本における仏教の在り方を模索する覚悟。煩悩は捨てられないから何やってもいいみたいな開き直りでなく、ブッダのように生きれなければ無意味だという潔癖でもないぎりぎりの所にあるリアルティ。原理と現実の狭間で進む道。大変だけど歩きがいのありそうな道だ。2018/03/11