出版社内容情報
内容説明
選手として活躍し、今は監督、解説者である2人が、野球のレベルアップ法をやさしく紹介。野球少年やその親、指導者へ向けて、上達のヒントを豊富なイラスト・写真入りで解説。立浪&野村対談も!もっとうまくなりたい野球少年や見守る親のために、PL学園春夏連覇コンビがわかりやすくアドバイス!
目次
第1章 プロ選手が大事にしている基本(まずはボールを正しく握ろう;キャッチボールはしっかりと足を上げて ほか)
第2章 ステップアップのための体づくり(単純なトレーニングには、必ず効果がある;10回でもいいから、毎日続ける ほか)
第3章 ステップアップのための心がまえ(技術よりも「考える力」をつけよう;守備位置で、なにを考えるか? ほか)
第4章 カベにぶつかったときにやること(なぜ打球が強く飛んでいかないのか?;なぜタイミングが合わないのか? ほか)
著者等紹介
立浪和義[タツナミカズヨシ]
1969年8月19日生まれ、大阪府摂津市出身。右投左打。PL学園高校‐中日ドラゴンズ(88~2009年)。87年、PL学園の主将として、野村弘樹とともに甲子園春夏連覇を果たす。同年オフのドラフトで中日に1位で指名され、入団。88年、開幕戦から2番ショートでフル出場。チームのリーグ優勝に貢献し、新人王(高卒1年目の受賞は、セ・リーグの野手初)とゴールデングラブ賞(高卒新人としては史上初)を受賞。以降も、セカンドでの連続無失策712回というセ・リーグ記録(当時)を樹立するなど、攻守ともに中心選手として長年、チームを牽引。03年7月5日の対巨人戦(東京ドーム)で、通算2000安打を達成。通算成績は、2586試合出場(歴代7位)、打率.285、2480安打(歴代8位)、171本塁打、1037打点。487二塁打は、現在も日本プロ野球記録。ベストナイン2回(96年=セカンド、04年=サード)、ゴールデンクラブ賞5回(88年=ショート、95~97年=セカンド、03年=サード。3ポジションで受賞は、史上最多)。引退後は解説者として各メディアで活躍する一方で、13年には第3回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の日本代表「侍ジャパン」に打撃コーチとして参加。19年、競技者表彰で野球殿堂入り。22年から、中日の監督として指揮を執る
野村弘樹[ノムラヒロキ]
1969年6月30日生まれ、広島県広島市出身。左投左打。PL学園高校‐横浜大洋ホエールズ・横浜ベイスターズ(88~2002年)。87年、PL学園のエースとして、立浪和義とともに甲子園春夏連覇を果たす。同年オフのドラフトで、横浜大洋に3位で指名され、入団。88年10月2日の対広島戦(横浜スタジアム)でプロ初登板し、無四球完封勝利をあげる(高卒新人の初登板初完封勝利は、史上5人目)。早くから「巨人キラー」の異名を取り(通算25勝17敗、勝率.680)、チームが低迷する時期も、エースとして奮闘する。93年に17勝6敗で、最多勝のタイトルを獲得。98年には、3年連続2ケタ勝利となるチームトップの13勝をあげ、38年ぶりのリーグ優勝と日本一に貢献。西武との日本シリーズでは開幕投手を務め、勝利投手に輝いた。通算成績は、301登板、101勝88敗、勝率.534、防御率4.01、998奪三振。また、投手ながら打撃にも定評があり、通算で92安打、6本塁打、47打点を残した。引退後は、03~05年、07~10年に、横浜の一、二軍投手コーチを務める。その後は、解説者や時にはキャスターとしてプロ野球に関わりつつ、14年に学生野球資格を回復。15年、首都大学野球連盟・桜美林大学硬式野球部の特別コーチに就任し、アマチュア選手の指導にも意欲を見せている。同大学で指導にあたった佐々木千隼投手は、16年オフのドラフトで千葉ロッテから1位指名され、入団した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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