感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
syaori
26
闘牛についての本。作者は、闘牛は牛か人かの死で終わる悲劇性からスポーツ以上のなにものかであるのだとし、さらにその悲劇性の持つ芸術性とエロティシズムについて論じます。闘牛の美とは調和的で理想的な、まっすぐな要素と、不幸、災難などのおぞましい、歪んだ要素の間に示されるのだと。そしてまっすぐな面と歪んだ面の間に混沌が、「聖なるもの」が顕現するのだということにまで言及する本書は、闘牛を越えて普遍的な美について論じているように思え、本書の影響を受けてバタイユが『エロティシズム』を書いたというのも大変うなずけました。2016/09/26
彩菜
8
レリスと闘牛を見に行こう。私達はまずそこに1つの芸術を見るだろう。それは牛か人の殺戮で終わる悲劇性と、人と牛、幸と不幸etc.といった対立要素でできている。次いでこの対立が拮抗し、矛盾する命題が一致するその一瞬、即ち牛と人が交錯する一瞬に、私達は世界と自身が合一するような感動を、聖なるものを感じるだろう。そこに何が見えるだろうか。牛と人、世界と自身の完全なる合一は死を以てしか叶わないという幻滅と、そこから再び甦る合一への渇望が見えるだろうか。繰り返される無限。私には、それは私達自身の生の明滅にも思われた。2019/04/27
qoop
3
著者にとって闘牛とは、聖性を帯びた啓示的な行為である。スポーツや芸術を越えた〈聖なるもの〉である。本書はそんな著者の闘牛観であり、闘牛を通して著者のテーマ〈聖なるもの〉探求の結論でもある。個別事象に特権を与え、それに基づき永遠を語るという著者の手続きはやはり詩人の、芸術家のそれだなぁ…と俗っぽいことを思う。2014/09/27
毒モナカジャンボ
1
エピファニーとして顕れ、人間のカオスの中から真実を取り出す鏡としての闘牛は、高度に儀式的である点でスポーツを超え、危険さとそこに顕現する上下運動(騎乗位ですね、闘牛だけに)の暴力性のあからさまさにおいて芸術を超える。馬を殺し、角=男根によりトレーロに死をもたらす筈だった牛はいつのまにかマタドールの誘惑を受けるうちに女として剣を突き立てられるのだ。男女の混交。パセから、そして闘牛の興業的性格からして交合の不可能性・カオスの鎮静化は定めであるが、人間同士の愛はどうだろう。理想と亀裂の同居が産む美。聖性の劇場。2019/09/01
ロバーツ
0
バタイユ、エルンストに続き、たまたま手に取ったシュルレアリスムの本。闘牛鑑と闘牛技の合本。2019/01/20