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内容説明
棒馬から風刺漫画/ギリシャの壷絵からエッシャーまで、視覚芸術の「隠されたもの」を探り、「抽象と表現」に迫る。
目次
棒馬 あるいは芸術形式の根源についての考察
芸術上の価値の視覚的隠喩
精神分析と美術史
相貌的知覚について
表現と伝達
アレドレ・マルローと表現主義の危機
西欧の静物画における伝統と表現
芸術と学問
ロマン主義時代における図像表現と芸術
風刺漫画家の兵器庫
イリュージョンと視覚の袋小路
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
roughfractus02
5
『芸術と幻影』で、認知科学の知見から見ることに概念イメージを検索する過程の存在を指摘し、リアリズムの前提となる「ありのまま」の再現という考えを批判した著者は、14の論文集から成る本書で再現自身の構造を検討する。representationには描写と代替の2つの意味があり、後者は「ありのまま」という前者を逸脱する。棒馬なる遊具は馬のフォルムでなく乗るという機能を代替し、その機能を概念化して子供も棒を馬と見なす。著者は、認知における機能の代替過程を、古代の壺絵から、19世紀のデザイン、現代の漫画へと展開する。2019/03/31
コデラ
0
猫はまるでそれが鼠であるかのようにボールを追いかける。赤ちゃんは自分の親指をまるで乳房みたいに吸う。ある意味でボールは猫にとって鼠を「表わす(レプリゼント)」し、親指は赤ちゃんにとって乳房を「表わす」のである。しかし、ここでもまた「表現」は機能の最小限の要件をこえてまで形の類似性に頼っているわけではない。ボールを追いかけることができるということを除けば鼠とは何の共通性もない。親指は吸える点以外に乳房と共通するところは何もない。それらは「代替物」として生物の何らかの要求を満たしているわけである。それらは生物2025/01/12