個人として尊重―「われら国民」のゆくえ

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個人として尊重―「われら国民」のゆくえ

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  • サイズ B6判/ページ数 230p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784326451067
  • NDC分類 323.143
  • Cコード C3032

出版社内容情報

私たちはどういう国に、どう生きたいのか。この国を形作る憲法を考える重要な補助線として、自律的生を担うリベラリズムを問い直す。安保法案採決の夏、「ふつうの人」たちがデモ行進を繰り広げた。背景には、個人が平等に尊重されるための「場」の確保が浮かび上がる。それこそが日本国憲法13条に具体化された、リベラリズムの未完の課題でもある。困難を承知の上で取り組む「個人として尊重」という普遍主義的原理の市民による相互的承認へ、憲法学から挑む。

はじめに──「われら日本国民」



? 個人──統治権力の正統性根拠

 第1章 自己決定とその「環境」

 コラム? ドゥオーキンは「運の平等主義」者か?

 第2章 自己決定を「権利」として構成することの意味

 第3章 自律の教説は公共社会の共通の《物語》たりうるか?



? 政治的共同体─帰属の条件



 第4章 立憲主義の土壌を侵すもの

 第5章 リベラルな国家のアドミッション・ポリシー

 第6章 「われら、人民」──《法の共和国》の試みとして

 コラム? 法にしたがう政治的責務──なぜ、「この」政治的共同体に対してなのか?



おわりに──「われら」のゆくえ





あとがき

索引

小泉 良幸[コイズミ ヨシユキ]
小泉 良幸(こいずみ よしゆき) 1966年生まれ。1993年、東北大学大学院法学研究科後期課程修了。博士(法学)。現在、関西大学法学部教授。主著に『リベラルな共同体――ドゥオーキンの政治・道徳理論』(勁草書房、2002年)、毛利透=小泉良幸=浅野博宣=松本哲治『リーガルクエスト 憲法 1・2』(有斐閣、2011年・2013年)。

内容説明

安保法案採決の夏、「ふつうの人」たちがデモ行進を繰り広げた。私たちはどういう国に、どう生きたいのか。この国をかたちづくる憲法を考える重要な補助線として、自律的生を担うリベラリズムを問い直す。

目次

1 個人―統治権力の正統性根拠(自己決定とその「環境」;自己決定を「権利」として構成することの意味;自律の教説は公共社会の共通の“物語”たりうるか?)
2 政治的共同体―帰属の条件(立憲主義の土壌を侵すもの;リベラルな国家のアドミッション・ポリシー;「われら、人民」―“法の共和国”の試みとして)

著者等紹介

小泉良幸[コイズミヨシユキ]
1966年生まれ。1993年、東北大学大学院法学研究科後期課程修了。博士(法学)。現在、関西大学法学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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