内容説明
排除テーゼ―。規律訓練権力や生権力を提起したフーコーは、その一方で権力論から法や主権の概念を排除したとされる。著者らはその先入観を排し、「決定と応答」という法の二重性から読み解くことで、彼の思想に新たな補助線を提供する。ポストモダン法学に革新的な展開をもたらす本書は、もはやフーコーへの挑発である。
目次
第1章 オリエンテーション―フーコーと法(「排除テーゼ」;フーコーを救出/再読する;結論)
第2章 フーコーの別の法(関係のなかの法;フーコーの法―抵抗、侵犯、法;法の多価的な空虚;結論)
第3章 法の未来(エワルドと社会的なものの近代主義的閉鎖;フーコー的倫理の近代性;結論―社会性の法)
著者等紹介
ゴールダー,ベン[ゴールダー,ベン] [Golder,Ben]
ニューサウスウェールズ大学法学部シニア・レクチャラー(法と社会理論)。ロンドン大学でPh.Dを取得後、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン、イースト・ロンドン大学等を経て、現職
フィッツパトリック,ピーター[フィッツパトリック,ピーター] [Fitzpatrick,Peter]
ロンドン大学バークベック・ロースクール教授(政治理論および法理論)
関良徳[セキヨシノリ]
信州大学教育学部准教授。専攻は法哲学。一橋大学大学院法学研究科博士課程修了(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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Mealla0v0
3
フーコーにおける「法」の位置づけについての研究書。フーコーは一般に生権力を論じる際、法を重視しないとされる。この「排除テーゼ」、あるいはF.エヴァルドの「社会法」理解を批判的に乗り越え、後期フーコーの主題たる倫理学へ法を位置づけようとする。それは社会性としての法であり、自己産出的であり、どこか外部につながっているかのような法だと言う。この結論、あるいは議論全体のインパクトは、しかしそれほどないようにも思える。ただ、統治性などの理解や邦訳のないエヴァルドの議論を知る点では読んでおいて損はない、という感じ。2017/12/15
my_you
0
法/規律訓練的権力/生権力の三項からフーコーの論を考える。法はむしろ権力に対して構成的であり、決定性と応答性の二側面によって他なるものとの境界をずらしつづけるとの旨。でもその役割は権力も果たせるのではないのか?2015/03/15