出版社内容情報
現象学の観点から分析哲学的なトピックに取り組む「現代現象学」。その手法を用いてハイデガー『存在と時間』を読む、初めての試み。
20世紀最大の哲学書と言われる『存在と時間』は、2027年で刊行から百年を迎える。本書では、現代哲学で争われているテーマや問いを現象学の立場から引き受けて論じる現代現象学の手法によって、存在の意味、行為、知覚、情動、他者の心、擬似問題といったトピックを通して『存在と時間』に切り込み、ハイデガー哲学の独自の相貌を描く。
内容説明
現代哲学で争われているテーマや問いを、現象学の立場から引き受けて論じる「現代現象学」。存在の意味、行為、知覚、情動などのトピックを通して現代現象学の手法で『存在と時間』に切り込み、ハイデガー哲学の独自の相貎を描き出す。
目次
1 ハイデガーと現代現象学―本書の狙いと方法
2 存在の意味
3 行為
4 知覚
5 情動
6 他者の心
7 擬似問題
著者等紹介
池田喬[イケダタカシ]
1977年東京都に生まれる。現在、明治大学文学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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buuupuuu
16
いわゆる分析哲学の文脈にハイデガーを置いて、現代的な議論とハイデガーの哲学の両者について光を投げかける。この接続は無理矢理なものではない。というのも分析的潮流の中には、ハイデガーに言及している哲学者たちがいたし、彼と議論状況や哲学的背景を共有しているような哲学者達もいるからである。たとえばアンスコムもハイデガーもアリストテレス解釈を下敷きにして行為論を展開している。ハイデガーといえば、訳が分からない、難しいという印象だが、近づきやすくなったような気がする。そろそろ『存在と時間』を読むべきなのかもしれない。2024/03/20
Bevel
6
個人的に関心は、分析哲学との接続の仕方だった。存在の意味、行為、知覚、情動、他者の心、疑似問題を扱う各論は、それぞれ踏み込みがあって勉強になる。だけど章末の立場がハイデガーかと言われるとピンとこない。むしろ、これらを同時に論じるところにらしさがあったのかなと。その観点からみたとき、序論の議論もう少し欲しかったなって思った。ザハヴィが言う「手法」は他のどの手法に対立するか。示唆はいたるところにあるのだけど、分析哲学の多様な歴史をどこか一枚岩として想定していないか。ハイデガーは今誰に出会っているのか。2025/03/14