出版社内容情報
『全体性と無限』は「他者の倫理」ではない? 新資料の分析および同時代の社会的・思想的な背景の検討から、新たな解釈を提示する。
近年公刊された講義録や未公開の草稿等の新資料をはじめ『全体性と無限』執筆にいたるまでのテクストをくまなく収集・整理。『全体性と無限』が、フッサール現象学およびハイデガー存在論を批判的に継承し、独自の仕方で「人間」の存在様態の多層性を哲学的に記述する企ての集大成として執筆されたことを示す。
内容説明
『全体性と無限』で描かれているのは“他者の倫理”ではない?初期から中期までの著作の精読および新資料の分析の検討から、レヴィナス主著の新たな解釈を提示する。
目次
第1部 具体的なものと決定的なもの―初期レヴィナスの野心と不安(フッサール現象学から「具体的なもの」―『直観の理論』;初期レヴィナスにおけるハイデガー存在論の受容;「決定的なもの」の重み)
第2部 捕囚・エロス・ある(企てられた「体系」―「捕囚手帳」におけるレヴィナス思想の萌芽;文学とエロス―『著作集』第三巻の未刊小説;「世界の終わり」とその後―『実存から実存者へ』;「ユダヤ的存在」をめぐって)
第3部 レヴィナスの「転回」―「哲学コレージュ」の周辺で(マニフェストとしての『時間と他なるもの』;「顔」の倫理の誕生―「語句の超越」と「発話と沈黙」;ハイデガーの「権能」批判と「創造」の哲学―『実存の発見』と「権能と起源」)
第4部 身体・意味・時間―『全体性と無限』と人間の多層性(「存在論」批判と「倫理」の「優位」;「動物以上、人間未満」―「エトロジー」としての「享受」論;超越論的意味論としての「責任」論;時間性の問いとしてのエロス論;「人間」の多層性)
著者等紹介
渡名喜庸哲[トナキヨウテツ]
1980年生。立教大学准教授。フランス哲学、社会思想史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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