内容説明
“不死なるもの”に死すべき者として踏みとどまれ!ジジェクらに大きな影響を与えたフランス哲学界の鬼才・バディウがあらゆる善‐悪をめぐる議論を破砕する思考の炸裂弾、名著ついに翻訳。
目次
第1部 人間は実在するか?(“人間”の死?;人権の倫理的基盤 ほか)
第2部 他者は実在するか?(レヴィナスの意味での倫理;「差異の倫理」 ほか)
第3部 倫理―ニヒリズムの形象(倫理―必然性の従者;倫理―死の「西欧的な」統御 ほか)
第4部 諸真理の倫理(存在、出来事、真理、主体;真理の倫理の形式的定義 ほか)
第5部 “悪”の問題(生、複数の真理“善”;“悪”の実在について ほか)
著者等紹介
長原豊[ナガハラユタカ]
1952年生
松本潤一郎[マツモトジュンイチロウ]
1974年生
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感想・レビュー
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sayan
14
断れない名目で時間と気力がただ乗りされ疲弊する。自分の人生は?の疑問に使命・称賛・皆のためと言葉が重なり問いの無効化と解決の演出は何も変えない。読後−から0は許さず+1を求める倫理に見えるが根性論ではない。倫理とは体験の装飾でなく出来事(既存の数えに収まらぬ裂け目)への忠実=可動域を+1の単位へ置換・数え直しとバディウの議論を援用可。見て見ぬふりの背信、徳の押しつけ強制、見せかけの正義(真理なき善意の演出)で負担を美談にする悪。+1の数え方で応答せよ!所得向上のみならず自身の人生に対する回答への最短路か。2025/10/10
吟遊
11
ニーチェばりに元気のよい哲学書だと思う。下敷きにしているのは、とくにドゥルーズ、ほかラカン、デリダといった現代フランス思想の系譜。しかし、わかりやすくはっきりと「これが〜だよ!」と明言することの少ない現代フランス思想のなかにあって、「真理の過程」「善」「悪」「不死なるもの」といった概念を、肯定的かつ明確(抽象的な言葉ばかりではあるものの)に定義して、どうだ!と胸を張るところは威勢がよくて楽しい。反面、どこか厭世観漂うのは仕方ないのか。シニカルさも覗く。2016/06/29
hitotoseno
7
あのジル・ドゥルーズを向こうに回してテメーは差異の哲学を標榜してるけど俺のほうがずっと差異について考えてるもんね、と言えるくらいの男であるバディウにとっては世にはびこるエセ倫理家を皮肉ることなど朝飯前である。倫理の名のもとに他者を「弱き者」として描き出す者どもは結局のところ自分の都合の良いように他者を表象しているだけで、むしろ彼らこそ他者の尊厳を貶めているに過ぎない。要はお前らの愛せる他者だけを愛して、愛せない他者には罵声を浴びせるしかできないんだろう? と果敢にも言ってのける姿には溜飲が下がる。2016/05/28
大ふへん者
3
初バディウ。旧来の「倫理=人権」は普遍的な人間を主体と前提している以上、倫理「一般」などありえない。それは倫理「一般」で想定されている抽象的な主体などないからだ。あるのは情勢によって主体になろうと呼びかける動物だけである。真理ではなく見解だけが問題となっている。倫理的な主体と出来事の内在的切断について。2014/04/21
ぽんぽこ
2
初読み。2割も理解できなかったのが悔しいです。悪の特異性は政治や文化の特異性と切っても切り離せない、ってこと……ですかね。私たちはさまざまな差異(違い)を尊重できるけど、尊重できない差異は容認できなくて、それを悪と定義する?うーん……もっと深く理解したいので、時間を置いて再読したいです。もっと修行してきます。2023/06/24