出版社内容情報
生誕150年、大拙師の隠れた名著。坐禅、無知の知、禅と思想、禅問答など、東洋的叡智の世界を伝える、禅の入門書。
内容説明
禅とは何か―禅は無念を宗とする。無念とは、一切処に無心なることである。禅者は、意識の本源を窮めんとする。禅は、二元的・対象的・分別的知識では把握不可能である。禅は無分別の自覚、無分別の分別を本源とするのである。―隠れた代表傑作の記念復刊。禅入門の決定版。
目次
禅と日常生活
筋肉生活と思想
機械文化と禅
大地と禅
坐禅
身と心
「オイ」と「ハイ」
百骸と一物
禅問答の端的
行と学〔ほか〕
著者等紹介
鈴木大拙[スズキダイセツ]
1870年、石川県金沢市生まれ。仏教学者。東京帝国大学選科在学中に、鎌倉・円覚寺で参禅に没頭。禅に関する著作を英語でも執筆し、日本の禅文化を広く海外に紹介した。コロンビア大学や大谷大学などで教鞭を執る。ヨーロッパ神秘思想の紹介にも寄与した。1966年逝去。文化勲章受章(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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livre_film2020
31
とても難しかった……!だが、このご時世的にも心に響く文が多々あった。「人間はお互いを食べ合って食べつくすより外ない運命を持っている」「私怨、私案、または計らいから出るものは悉く滅びの運命を担っている」「始めからなくしていなかったら、何も人について覓めるまでもない」など。山は山ではないけど山。なんとなくわかる気がする。今見えているものは確かに山だけれど、それは私の認識であって、別の視点から見れば山ではない(かもしれない)。けれど、何にしても山だ。行為を経て初めて禅は理解可能らしい。生きるという行為を粛々と。2022/03/12
roughfractus02
6
坐禅は大地に落ち着く行為であり、それゆえ肉体の肯定から始まる。著者は坐禅に関する考えと行為から日常生活を語る。日常では考えは空想になりがちだが、その思考習慣には肉体が属する時空を超えるために、心と肉体を分離する二元論的枠組みがはめ込まれてあるからだ。一方、坐禅は肉体を大地に据えて心と肉体を一つにする。この状態は「安楽」と呼ばれ、さらにこの「安楽」状態が大地と一つになる経験は「悟り」と呼ばれる。主体と客体が溶け合うこの宗教的経験によって、「空に投げられた石のように、人間は落着かなければ止まぬ」ことがわかる。2021/03/09
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