ニュルンベルク・インタビュー〈下〉

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  • サイズ B6判/ページ数 363p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784309224411
  • NDC分類 329.67
  • Cコード C0022

内容説明

ユダヤ人大虐殺と戦争の動機、ヒトラー観、さまざまな主張と弁解…ナチス幹部たちの恐るべき心理と意外な内面を生々しく記録した、第一級の歴史資料。

目次

第3部 被告(副首相・オーストリア駐在大使 フランツ・フォン・パーペン;ヒトラー顧問弁護士・ポーランド総督 ハンス・フランク;内務相 ヴィルヘルム・フリック;宣伝省ラジオ部門責任者 ハンス・フリッチェ;経済相 ヴァルター・フンク;ナチ党総統代理 ルドルフ・ヘス;国防軍最高司令部作戦部長 アルフレート・ヨードル;外相 ヨアヒム・フォン・リッベントロープ;東方占領地相 アルフレート・ローゼンベルク)
第4部 証人(警察長官 エーリヒ・フォン・デム・バッハ=ツェレウスキ;陸軍参謀総長 フランツ・ハルダー;アウシュヴィッツ強制収容所所長 ルドルフ・ヘース;SS経済・管理本部長官 オスヴァルト・ポール;陸軍元帥 エーリヒ・フォン・マンシュタイン;ゲシュタポ長官 ルドルフ・ミルドナー;空軍元帥 エアハルト・ミルヒ)

著者等紹介

ゴールデンソーン,レオン[ゴールデンソーン,レオン][Goldensohn,Leon N.]
1911年、ニューヨーク生まれ。ジョージ・ワシントン大学医学部で博士号取得。その後、神経学と精神医学を修める。アメリカ陸軍の軍医として、1943年にヨーロッパ戦域に参加。終戦時は少佐。戦後、ニュルンベルク裁判中に収容所付き精神分析医となる。裁判が始まって6週間経った1946年1月初旬から同年6月下旬まで、21名のナチス被告の精神面での健康に責任を負うと同時に、多数の証人にも面接する。1961年に心臓発作で死去した

小林等[コバヤシヒトシ]
1959年生まれ。慶応義塾大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。翻訳家

高橋早苗[タカハシサナエ]
東京生まれ。明治学院大学文学部英文学科卒業。翻訳者

浅岡政子[アサオカマサコ]
東京生まれ。翻訳者(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

メロン泥棒

2
ユダヤ人の虐殺については関係を否定する主張をするくらい正常な人達ばかりだった。ヒトラーやヒムラーが生きていたらユダヤ人は根絶やしにすべきと主張し続けただろうか。それともユダヤ人に対する嫌悪を隠しているのだろうか。上巻のシュトライヒャーなどは著者の声の調子からユダヤ人に違いないと指摘するなどユダヤ人に対する差別感情を覗かしていたが。そして、ヒトラーに対する評価はやはり高い。もしも、ユダヤ人の虐殺がなければ歴史はヒトラーをどう評価していただろう。そんな事を考えながら読んでいると面白かった。2010/11/20

a-park

2
「自分の仕事をしていただけ」「全てはヒトラーとヒムラーとゲッベルスとボルマンが悪い」 もう見事なまでにみんな同じ事しか言わない 2010/05/01

takao

1
責任を故人であるヒムラー等にかぶせるひとが多い。ヒトラーは天才で、虐殺を知らなかったはずとするのも多い。 暗殺未遂事件後、人格が変わったとの証言もある。 当時のドイツは不況による失業者が増大し、かつ、ロシア革命で大量のユダヤの亡命者がドイツに流れていた。 さらに、シオンの長老の議定書が広く信じられていた時代でもある。 ヒットラーは民主的手続きにより選出された。2018/05/03

釈聴音

0
裁かれる被告人・証人たちが繰り返し口にする「知らなかった」「命令に従っただけだ」「全てはヒトラー、ヒムラー、ゲッベルスのせい」という言葉の空しさ。2012/12/08

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