出版社内容情報
インド、横浜、京都で、本をデザインし、ラジオ、ワークショップを行う装丁家が考える、本ってなんだろう。はたらくってなんだろう。
内容説明
だれのために本はある?中学校を辞めてインドで学び、独学でデザインをはじめ、自ら本をつくり届ける装丁家が見てきたもの。
目次
1 学校とセンセイ
2 インドで暮らす
3 絵を描くこと
4 本をつくる
5 日本で暮らす
6 本とはたらく
著者等紹介
矢萩多聞[ヤハギタモン]
画家・装丁家。1980年横浜生まれ。9歳から毎年インド・ネパールを旅し、中学1年で学校を辞め、ペン画を描きはじめる。1995年から南インドと日本を半年ごとに往復、横浜や東京で展覧会を開催。2002年から本のデザインにかかわるようになり、これまでに600冊を超える本を手がける。2012年、京都に移住。出版レーベルAmbooksをたちあげたり、「本とこラジオ」パーソナリティをつとめたり、本とその周辺をゆかいにするべく活動している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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- 評価
本屋のカガヤの本棚
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Koichiro Minematsu
56
おわりにで筆者は働く意味をまだ見つけられないとしているが、そうではないでしょう! 本と働くことにアジャストしたんだと思います。本と働くことで家族を幸せにして欲しいと願っています。本とともに生きる。それができることは幸せなことだと思います。2023/01/16
中玉ケビン砂糖
56
「本ではたらく」人たちは一定数いるが、「本とはたらく」という段になるとかなり特殊なスキルが要請されるに違いない。ましてやフリーランスともなれば、芸術家であり商売人であり行動経済学者にもならなければいけないのだから、尚更。鈴木成一や幅允孝といったよく聞く人気装幀家とは違い、ヤハギタモンなる人の名は知らなかった(代表作のズラリと並ぶページで「ああ、あれの!」となる)。奇天烈だけど寛容な幼少期、インドでの生活、画家としての生計。そこからさらに始まる装幀稼業というのは聞いたことがない。2022/10/08
*
28
"本とその周辺をゆかいにするべく活動している"装丁家さんの自伝。内容からの刺激と、デザインへの親近感。長く置きたい一冊に出会えた。「本は縁側みたいだ」(P.253)という喩えから、そしてこの本自体から、私はこれまで読書会で出会った人たちを思い出す。ずっと「本は心の窓」と掲げて活動してきたけれど、これからはつながるだけでなく、一緒にくつろげる「縁側」としての役割も考えていきたい。2022/08/01
kochi
16
自身の半生と本との関わりをまとめた『偶然の装丁家』に追加したもの。東北震災後、京都で暮らし始めてからの色々が加筆されている。家庭内のことも暴露されていて、子供さんが学校に行かないのでフリースクールを始めてしまおうと言うことで、なんともまあポジティブさはうらやましい。コロナ禍で、本関係の人との対談をラジオで流したりの活動なども、プラス面がドーンと強調されているから、そういうところ元々なのか、インドでの経験からなのか、見習いたい。インパクトのあった『中村屋のボース』の書影のページが無くなったのは残念。2022/07/11
MAEDA Toshiyuki まちかど読書会
12
中学で不登校になった作者がインドへ行き好きな絵を描き続けて装丁家になった半生を綴ったもの。トラブルが日常茶飯時のインド人は「アジャスト」が口癖なのが興味深い。型にはめようとする日本とは真逆ですね。2023/05/28