内容説明
信仰心を支えに最愛の妻を看病する日々は、18年に及んだ。日々の歌の中には、妻への労り、病室で密かにこぼした涙、家族への感謝、つかの間の安らぎが描かれている。著者の妻への思いの深さとキリストへの祈りが胸を打つ作品集。
目次
1985‐1990
1991‐1994
1996‐2003
著者等紹介
長尾英人[ナガオヒデト]
1911(明治44)年2月15日、鳥取県西伯郡に誕生。米子市角盤高等小学校卒業後、大工見習を経た後、棟梁として米子博愛病院、安来製鋼所寮、米子天使園等の建築に従事。後に国鉄米子検車区に入り、鉄道士として18年間勤務。その後、病により退職したが、キリスト教の信仰により病気は全快し、1948(昭和23)年5月16日のペンテコステ記念日に、日本基督教団米子錦町教会佐畑清師より皆生海岸にて妻と共に洗礼を受けた。レイマン(信徒伝道者)として証しと伝道に勤しみ、後に茶道と短歌にも親しんだ。又、2級建築士と1級技能士の資格を取得して建築請負業に励み、日本基督教団米子教会牧師館、2教会の納骨堂、その他多くの一般家屋や茶室等の設計と施工に当たった。しばらくの間入院闘病生活を送ったが、2005(平成17)年9月29日、鳥取大学医学部附属病院において永眠
長尾愛作[ナガオアイサク]
1938(昭和13)年3月14日、鳥取県米子市朝日町に長尾英人と春江の長男として誕生。米子幼稚園、米子市立啓成小学校、第一中学校から米子東高等学校、島根大学教育学部特音課程を経て東京芸術大学音楽学部委託科に2年間在籍。1950(昭和25)年4月9日のイースターに、皆生海岸で日本基督教団錦町教会佐畑清師より受洗。卒業後は東洋英和女学院短大のピアノ専任講師、助教授となり、また日本基督教団鳥居坂教会オルガニストと聖歌隊の奉仕をした。次いで、宮城学院女子大学音楽科助教授、教授に就任。その後、鳴門教育大学附属実技センター音楽教授となる。その間に、東京バプテスト神学校神学科(通信科)を卒業。1978年夏から翌年3月までインディアナ大学に留学、1990年4月コロンビア・パシフィック大学よりPhD(音楽教育)を取得。定年後は郷里米子でアイザック音楽研究室主宰として合唱指導や作曲活動をし、自作の各種音楽作品展等を開催(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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