内容説明
この記録は、昭和二十年八月九日、長崎原爆投下以降の被爆地について被爆医師が書き綴ったものである。
目次
第1章 八月九日の長崎
第2章 医療活動の開始
第3章 紫黒色の死
第4章 死の同心円
第5章 救いの雨
第6章 永井先生との再会
第7章 原子野にたたかう
付 永井隆先生と私
著者等紹介
秋月辰一郎[アキズキタツイチロウ]
医師、平和運動家。大正5年(1916)1月3日~平成17年(2005)10月20日。長崎市生まれ。京都帝国大学医学部卒業後、長崎医科大学(現・長崎大学医学部)放射線科の永井隆博士のもとで研究。高原病院を経て、昭和19年(1944)長崎浦上第一病院(現・フランシスコ病院)医長となり、のち病院長。昭和20年8月9日長崎で被爆後、医療のかたわら被爆者問題にとりくみ、被爆体験資料の収集・発掘などにつとめる。長崎の証言の会代表委員、原爆被爆者対策協議会、原爆資料保存会、原爆被災復元調査協議会の役員を歴任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
夜間飛行
49
広島に落ちた新型爆弾の恐ろしさが風の噂に聞こえてくるさ中、長崎を襲った閃光。地上の全てが燃えあがり、逃げ惑う人間は虫けらに見えたという。それはまさに「この世の終わり」「地獄図絵」だ。丘の病院に逃げてくる人々、「先生、痛い!熱い…」と黒く焦げた人の呻き、燃え崩れる家の下から「お願いです、子供を!」と叫ぶ母、臍帯が繋がったまま焼け死んだ河原の母子…原爆の悲惨は写真や文章でくり返し見てきたが、「時が止まった」瞬間は絶対に褪せることがない。地底からの叫びが書かせたという筆者の言葉どおり、全てが有りの儘なのである。2014/07/06
すみの
22
長崎被爆治療の医師としては永井博士が有名ですが、当時、浦上第一病院医師である著者の見た爆撃直後の浦上。何もない中の医療活動。玄米のおむすびとワカメと南瓜の味噌汁…被爆直後から彼らを支えた食事。2021/11/07
きゅうり
12
原爆の残酷さは頭ではわかってるつもりだった。一瞬で何万人もの命を奪う非人道的な兵器だ。しかし、生き残ったものにとってはさらに過酷な現実が待ち受けていた。爆心地から1800mの病院に勤める秋月医師は他医師・看護師や入院患者と共に生き残るが建物・薬・設備はすべて失ってしまう。そこに重度のやけどを負った人々が押し寄せ、まさに徒手空拳で診療を行わなければならず逃げ出したくなる絶望が隠すことなく記される。そして強烈な熱と爆風から生き延びた長崎の人々を次に襲ったのは目に見えない放射線だった。2017/02/17
よしじ乃輔
8
長崎で被爆しながらも一年間、現地に残り診療を続けた医師の目で見た貴重な記録。満足な治療を何一つできなかった怨念からこの記録を書かせた、とまえがきにあるように、血の涙が流れるような思いは消え去る事はなく、消えたらきっといけないものなのだと思います。無辜なる市民の方々のこの死を無駄にならない世に。2023/04/03
雪の行者山@加療リハビリ中
7
今年も8月9日に再読。去年の感想を再度なぞる感じ。新しく何かを感じることは少なかった。けれど、著者の真摯な姿勢と頑固で偏屈な一面が一層際立って感じられた今年のこの本でした。九州のマップルは持ってないのでぜひ買ってそばに置いて読み直したい。地理的理解があるなしで話の理解がずいぶん違う気がするので(私に限ってのことかもしれないけど)。「雅子斃れず長崎原子爆弾記」と対比させて読んでいるけど、そういう読み方おすすめです。2016/08/09
-
- 和書
- 大魔王作戦 ハヤカワ文庫