内容説明
自主独立の草の根保守のイコンたる「男らしい」イーストウッド。彼は果たしてフェミニストの敵なのか?限界の自覚のもとにもがく解離的なヒーローたちはむしろ、マスキュリニティ=男性性の幻想をゆるやかに解体し、“イマジナリーな領域”での自己再創造の道を切り開く。「男らしさ」を内的な複数性・変容可能性とともに生きる「イーストウッドの男たち」。「倫理的フェミニスト」コーネルの本格的イーストウッド論。
目次
イントロダクション シューティング・イーストウッド
第1章 決戦を描くこと―日没後に残されたもの
第2章 分身との舞踏―内なる闇から手を伸ばすこと
第3章 拘束する絆―遺された母の愛
第4章 精神の傷痕―変容的関係と道徳的修復
第5章 『ミスティック・リバー』における復讐とマスキュリニティの寓話
第6章 軍隊と男らしさ―打ち砕かれるイメージと戦争のトラウマ
第7章 承認の影―特権、尊厳、白人のマスキュリニティの傲慢さ
結論 ザ・ラストテイク
著者等紹介
吉良貴之[キラタカユキ]
日本学術振興会特別研究員。専攻:法哲学
仲正昌樹[ナカマサマサキ]
金沢大学法学類教授、専攻:社会思想史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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きつね
3
イーストウッド本としては物足りない。また作品に即して語ろうとするために、第一にあらすじとスクリプトの紹介、第二にフェミニストによるイーストウッド=マッチョ批判からイーストウッドを倫理的問いを開いてくれる作家として擁護することに紙幅が割かれ、アメリカのマスキュリニティについて考察するアプローチとして適切だったのか疑問符がつく。端的にいえば、作家-作品論である必要はあったのか。序文に示される著者の父の、イーストウッドへの困惑こそ、最も深められるべきモチーフであったように思われてならない。(男らしさの偶像であっ2013/08/12