出版社内容情報
1980年10月、谷川俊太郎氏の仕事部屋で中島みゆきとの対話は行われ、1981年9月、『やさしさを教えてほしい』(朝日出版社)として刊行され、話題を呼ぶ。
42年後の2022年7月、新『やさしさを教えてほしい』企画のために二人の新たなる対話が谷川俊太郎氏の仕事部屋で行われた。
本書は、45年前の対話と最新の対話、及びこれまで二人が随筆で描いた「中島みゆきが描く谷川俊太郎」「谷川俊太郎が描く中島みゆき」を収めた、二人の詩人の精神のリレーの全記録。
また、二人の詩の世界が交互に、のびやかに展開される24編の詩を収録。
装画:黒田征太郎
内容説明
300年後に会いましょう!1980年秋の谷川俊太郎と中島みゆきの対話と倶に彼女が彼について書いたエッセイ、彼の中島みゆき論、相互に交わした33の質問、42年ぶりの対話を収めた交流の記録。
目次
一章 谷川俊太郎・中島みゆき対話 一九八〇年
二章 中島みゆきが描く谷川俊太郎
三章 谷川俊太郎が描く中島みゆき
四章 中島みゆきの詩 谷川俊太郎の詩
五章 谷川俊太郎から中島みゆきへの33の質問
六章 中島みゆきから谷川俊太郎への33の質問
七章 四十二年ぶりの対話 二〇二二年
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
nonpono
84
中島みゆきの卒論が谷川俊太郎だということは知っていた。そして、中島みゆきが谷川俊太郎の詩を読んで、デビューを延期したのも知っていたが、その詩の中身までは知らなかった。その詩をすべて引用したいが「私が歌うわけは ひとりのおとこ 目をそむけうずくまる ひとりのおとこ」(わたしが歌う理由)が刺さる。42年越しの対談や収録している二人の詩が光を放つ。また、先日、カムチャッカで大きな地震があったときに、谷川俊太郎の「朝のリレー」、「カムチャッカの若者がきりんの夢を見ているときー」をXで引用している人の多さに驚いた。2025/08/02
mike
71
1980年と2022年の2人の対談。他に2人の詩とお互いへの質問を掲載。互いの質問に対しての答えのその切り返し方が突拍子もなくて潔さを感じた。凡人の私とは遥かに違うところで生きてるんだろなと思った。2025/08/05
けんとまん1007
69
やはり、この二人だと「言葉」の2文字の持つ意味・力を感じてしまう。言葉が、ますます軽く・雑で、時に暴力的になってきている今だからこそ、言葉を考えることが大切。二人の、言葉への拘り、そこに至る思いなどが垣間見える。2025/07/28
ネギっ子gen
63
【ひと慕わしげな/ちょっとかすれた/ちょっと鼻声掛かった/凛と深い/谷川俊太郎さんの声だけが、きこえています。】卒論にするほど谷川俊太郎に傾倒した中島みゆき。2人の対談、中島が谷川について書いたエッセイ、谷川による中島みゆき論に加え、2022年の42年ぶりの対話を収録。「谷川俊太郎さんに会ったことがありますか」:<アタシはありますよ。目の前で。実物に。/谷川俊太郎さんから何か問われたことがありますか。/アタシはありますよ。スパスパと大根を着るみたいに次々と/私ははたして、ことばをきいたのでしょうか>と。⇒2025/07/27
シャコタンブルー
56
1980年時と2022年時の対話が掲載されている。42年もの歳月が二人にとってどういう変化をもたらしたのか興味深いものがあった。中島みゆきが相変わらず自分大好きを公言していることに何かほっとした気分になった(笑) 対照的に谷川俊太郎の死生観が劇的に変貌したことは驚きだ。どことなく嚙み合わなかった会話が42年後に健康、音楽、文学で大盛り上がりだったのは嬉しい限りだ。300年後に再会を約束した二人の素敵な会話を気長に待つとしよう。2025/05/23