出版社内容情報
50歳を過ぎてから天文学を勉強しはじめ、地球の大きさを知りたいと考えた忠敬。それが、日本地図の完成への第一歩でした。
内容説明
商人として成功したのち、天文学者を目ざして江戸へ。地球の大きさを知りたくて、忠敬は歩きはじめる。ひたすら歩いて測り、歩いて測り、日本全部を測り通すことはできたのか?
目次
1 大海原と夜空の星
2 やるべきことをやる
3 人の心をつかむ
4 生き方を決めておく
5 先生は十九歳も年下
6 地球の大きさを知りたくて
7 未開の地の道なき道
8 なかなか決まらない距離
9 太陽がしずんでしまった
10 日本全国を制覇
著者等紹介
たからしげる[タカラシゲル]
大阪生まれの東京育ち。立教大学社会学部卒業。産経新聞社で記者として働いているときに作家デビュー(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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Aya Murakami
84
他館図書館本。 江戸時代というと鎖国のイメージですが、地球は球体だとかグレゴリオ暦とか色々西洋の技術的なものがすでに入ってきていたのですね。園芸でもサボテンの栽培を武士が試みたりとしていたみたいですし…。 伊能忠敬…、結構頑固な人だったのかな?教科書では1行とか1文で説明されていたので性格とかは意識していなかった…。2023/03/04
せっちゃん
11
商人として成功した後、天文学者を目指し、55才から歩き始める。人、1人が今までやったことのない偉業を成し遂げる様が、あっぱれでした。自分もそう、ありたい。2020/09/15
TAGO
7
55歳で蝦夷地測量の旅に出る以前の忠敬の生い立ちや商人としての采配を知ることができたのが良かった。 時代的にロシアが日本に通商を求めていたので、幕府は蝦夷地の地図が必要となり、時代の追い風と師の協力もあって忠敬は蝦夷地測量の旅を実行する事ができた。 ラスクマン率いるロシアの船が根室に来たといえば、その船には大黒屋光太夫が帰国のため乗船していた。 大好きな大黒屋光太夫と伊能忠敬は同じ時代に生存し、連動していたんだなぁと思うと嬉しくてニンマリ。 2019/12/15
ソラーレ
6
伊能忠敬はどうして日本国土を測量しようとしたのか。日本国土を測量した理由は幕府からの依頼があったから。忠敬の根底には地球の大きさを計測したいと言う願望があった。幕府が国防の為沿岸部の地図を作るという依頼があり業務のついでに自分の願望である地球の大きさを計測出来ることが可能になった。⚫︎56歳になってから全国を17年かけて4万キロ近く歩いて測量した伊能忠敬の人生から、老後であっても世の為人の為に頑張って行動すること。それは充実した人生だったのかもしれないと感じることができた。2025/05/10
きのこ
5
「天体の動きをはかること、計算することを『推歩』といいます。忠敬は、ねてもさめても推歩ばかりしているイメージだったので、このようによばれたのでしょう。」(p.62)2019/04/28