独学のプロレス―なぜ究極龍は世界で賞賛されたのか?

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独学のプロレス―なぜ究極龍は世界で賞賛されたのか?

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  • サイズ 46判/ページ数 403p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784198652333
  • NDC分類 788.2
  • Cコード C0075

出版社内容情報

日本デビュー31周年記念出版

ジャパニーズ・ルチャを世間に広めた元祖「逆輸入レスラー」が語り尽くしたワールド・クラスのプロレス論。

メキシコ、日本、WCW、WWE…世界中を飛び回る究極龍はなぜ、オファーが絶えないのか? セルフプロデュース術からサイコロジーまで、プロレスビジネスのリアルに迫る!

「日本のメジャー団体出身ではない彼がどうやってプロレスを学び、ジャパニーズ・ルチャを確立し、指導者及びプロデューサーとしてのプロレス頭を培い、世界に通用するワールドクラスのプロレスを身に付けたのか?
 今回の出版にあたって、共著という形でタッグを組ませていただき、彼の歴史を掘り起こしながらプロレス観、ビジネス観、旅することで培ってきた感性と世界観に触れることができたのは本当に幸福な時間だった」(小佐野景浩氏による「あとがき」より)

内容説明

ジャパニーズ・ルチャからWCW、WWE、欧州…世界のファンを魅了したウルティモ・ドラゴンの、自伝的ワールドクラス・プロレス論。プロレスはエンターテインメント。ルチャ・リブレは大衆芸能、アメリカはムービー…日本は「格闘技」だった!

目次

プロレス少年
プロレス落第生
プロレスラーとしての生まれ故郷
ジャパニーズ・ルチャ
究極龍とSWS
WAR、新日本での闘い
アメリカWCWに進出
闘龍門
WWE
フリーとして生きる
世界をサーキット
現在、そしてこれから

著者等紹介

ウルティモ・ドラゴン[ウルティモドラゴン]
本名・浅井嘉浩。1966年12月12日、愛知県名古屋市港区生まれ。高校卒業後、新日本プロレス入門を目指したが不合格になり、自費でメキシコに渡って87年5月13日にイゴルダ州パチューカでプロレスデビュー。すぐに頭角を現して88年7月には史上最年少のUWA世界ウェルター級王者になる。90年4月6日には同ミドル級王座も奪取して2階級制覇を達成。日本へは90年3月のユニバーサル・レスリング連盟の旗揚げて凱旋帰国。91年10月にUWAからEMLLに移籍してウルティモ・ドラゴンに変身した。同時に日本での戦場をSWS→WARと変え、IWGPジュニア、ジュニア8冠王座などを奪取した後、96年8月からアメリカWCWに進出。世界クルーザー級、世界TV王者になったが、98年7月に左肘の手術のミスのために戦線離脱。長期欠場の間は97年4月に設立したプロレス学校・闘龍門で指導者に専念、99年1月には日本興行を成功させた。その後は新団体・闘龍門ジャパンのプロデューサーとして手腕を発揮。02年9月に復帰を果たすと、03年5月にWWEに進出。04年5月に帰国後、闘龍門ジャパンを離れてフリーになり、日本の各団体、メキシコ、ヨーロッパ、アメリカ、カナダ、オーストラリアなど世界を舞台に活躍。19年10月8日にラブコールを受けてドラゴンゲート最高顧問に就任した

小佐野景浩[オサノカゲヒロ]
1961年9月5日、神奈川県横浜市鶴見区生まれ。幼少代からプロレスに興味を持ち、高校1年生の時に新日本プロレス・ファンクラブ『炎のファイター』を結成。『全国ファンクラブ連盟』の初代会長も務めた。80年4月、中央大学法学部法律学科入学と同時に(株)日本スポーツの『月刊ゴング』『別冊ゴング』の編集取材スタッフとなる。83年3月に大学を中退して同社に正式入社。84年5月の『週刊ゴング』創刊からは全日本プロレス、ジャパン・プロレス、FMW、SWS、WARの担当記者を歴任し、94年8月に編集長に就任。99年1月に同社編集企画室長となり、02年11月からは同社編集担当執行役員を務めていたが、04年9月に退社して個人事務所『Office Maikai』を設立。フリーランスの立場で雑誌、新聞、携帯サイトで執筆。コメンテーターとしてテレビでも活躍している。06年からはプロレス大賞選考委員も務めている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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Roko

26
ウルティモ・ドラゴン、彼は天才的なプロレスラーであるだけでなく、優秀なレスラーを大勢育てたということこそが、彼の功績だと思うのストロングスタイルだけがプロレスではないということを、ずっと考えてきました。たとえば、現在は新日本プロレスの看板選手のオカダ・カズチカも、彼のことばの力、技の見せ方などは、闘龍門にいたからこそなのだと思います。彼の試合を観ていていつも思うのは、あの美しいドロップキックは、ウルティモ校長への憧れから生まれたんじゃないかなということ。美しさや楽しさも、プロレスの醍醐味なんですよね。2022/10/13

緋莢

14
新日本プロレスの道場で修行後、メキシコでデビュー。その後、日本の団体のみならず、アメリカのWCW、WWE そして、各国のリングにあがるだけでなく、選手を育成する「闘龍門」を立ち上げた著者。その生涯を振り返っています(所々に、その当時のプロレスの状況など、元『週刊ゴング』編集長・小佐野景浩の補足が入っています)、高校時代、デパートの屋上で行われていたヒーローショーでアルバイトしていた時に教えてもらった動きが後の空中殺法の原点になった(続く2021/06/10

qoop

4
根性論、団体中心、キャリア重視など(相互に矛盾を含んでアンバランスな仕組み)が当然だった日本のプロレス業界に一石を投じた著者への聞書き。求められなかったものだからこそ見い出せた活路を切り開き、視野を広く持つことで活躍の場も相応に広げ、いわば新時代の幕を開けた著者。著者が立ち上げた闘竜門の旗揚げ当時、新人同士の試合がなぜこれほど高い完成度を見せるのかと戸惑ったことを思い出す。あの衝撃の本質を垣間見せられた。2021/03/04

ロックスターKJ

1
評価:★★★☆☆ 3点 ウルティモさんのプロレス観がよくわかって興味深い内容だった。闘龍門立ち上げはほんとに大きな功績だと思う。 2021/06/25

U-Tchallenge

1
世界のウルティモ・ドラゴンのプロレス人生を余すところなく知ることのできる一冊。ウルティモ・ドラゴンはWWEマットに上がっている時に目にしたことがあった。それよりも大きいのは、闘竜門、ドラゴンゲート。闘竜門、ドラゴンゲートをずっと見てきた。最近になり、古巣に戻る? ようにウルティモ・ドラゴンがドラゴンゲートマットにも上がるようになった。そんな僕にとってはベストタイミングに読んでみたつもりだ。400ページ超の大作で読み応えばっちりであった。是非ともおすすめしたい一冊である。2021/08/18

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