内容説明
猪木KOデビューの裏にあった驚愕事実。日本各団体離脱・移籍の本当の理由とは…!?新日本、全日本、NOAH、Uインター…日本参戦の秘話からブロディ、ハンセン、レイス、フレアー、ホーガン、ザ・ロックらとの交錯、素顔のレオン・ホワイトまで、史上最強外国人レスラーが全て明かした破格の自伝!
目次
目玉が外れたハンセンとの死闘
生まれ育った街コンプトン
アメフトのキャリア
プロレスラーになる
AWA
AWAでの日々
CWA時代
ビッグバン・ベイダーの誕生
世界中に遠征する日々
アメリカへ〔ほか〕
著者等紹介
ビッグバン・ベイダー[ビッグバンベイダー] [Big Van Vader]
1955年5月14日生まれ。本名:レオン・ホワイト。アメリカンフットボールのトップ選手としてコロラド大学でプレー。1977年の全米大学セカンドチームに選出。卒業後、NFLのロサンゼルス・ラムズに入団。膝の故障によって2年後に引退、85年にAWAのマットでプロレスデビュー。スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディと連日、シングルマッチで対戦。その後、ブル・パワーのリングネームでCWAに遠征、CWA世界ヘビー級王座を獲得。マサ斎藤にスカウトされ、87年にビートたけし率いる「たけしプロレス軍団」のメンバーとしてビッグバン・ベイダーの名で加わり、新日本プロレスのアントニオ猪木VS長州力戦終了直後に乱入。会場にはブーイングの嵐、暴動も勃発する中、ベイダーは猪木を倒し、ピンフォールを奪った。88年から新日本マットに正式参戦。IWGPヘビー級王座、IWGPタッグ王座を獲得。アメリカでは91年よりWCWと契約を交わし、翌年にスティングを破りWCW世界ヘビー級王座を奪取。93年には日本での戦いの場をUWFインターナショナルに移し、リングネームをスーパー・ベイダーに変更。翌年には田延彦からプロレスリング世界ヘビー級ベルトを奪取した。96年には再び新日本に参戦。アメリカではWWF(現・WWE)に主戦場を移す。97年にはFMW、98年には全日本プロレスに登場。99年には田上明を破り三冠ヘビー級王座に就く。2000年にはスティーブ・ウィリアムスと組んで世界タッグ王座を奪取。同年の全日本の分裂後はプロレスリング・ノアに参戦。翌年、スコーピオと組みGHC世界タッグ王者。その後、WJプロレス、ドラディションなどに登場。2018年6月18日、逝去。190センチ、170キロ(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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