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内容説明
毛沢東政権下、激動と混乱の中国。山東省の貧しい村に生まれた著者リー・ツンシンは、11歳のときバレエの英才教育に選抜される。それは500万人に1人という難関だった。不安と期待を胸にツンシンはひとり北京へ上京し、舞踊学院できびしい訓練の日々を過ごす。芸術に精進することは、毛主席の運動を推進することでもあったのだ。やがて中国は改革解放へと大きく舵をとり、1979年、彼はバレエの研修でアメリカへ渡る。だが、「堕落している」と教えられてきた「西側」との衝撃的な出会いに、毛沢東を敬愛するツンシンの心は激しく揺れる…。
目次
第1部 子供時代(大やけど;大好きな母さん;井戸の中のカエル;文化大革命の嵐の中で;村で最後の昔ながらのともらい;毛主席、万歳!;故郷を離れて)
第2部 北京(十億人にひとりの新生活;かごの中の鳥;孤独な一年;万年筆;心の声;シャオ先生の言葉;転機;マンゴー;王子のふりをした農民;西側への道;堕落した資本主義国家アメリカ;さよなら中国)
第3部 西側世界(自由の国に戻って;エリザベス;亡命)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
354
ヒューストン・バレー(その後はオーストラリア・バレー)のプリンシパルを勤めた中国人バレリーノ、リー・ツンシンの半生を綴る自伝。山東省青島からさらに奥まった寒村に生まれ育った彼は、ふとしたきっかけで北京に行くまでは、食べ物さえ満足に食べたことがなかった。それでも偉大な毛沢東の指導のお蔭で飢え死にからは免れていた。北京の舞踏学院に入ったことから彼の運命は激変する。その間に林彪、そして江青ら4人組の失脚と政治情勢も変わってゆくが、彼の毛沢東への敬愛は変わらなかった。アメリカを体験するまでは。彼の初めての渡米は⇒2019/07/22
たまきら
33
貧しい農村で、7人兄弟の6番目に生まれ、毛沢東を信じて育った少年が、後にバレエダンサーとして成功し亡命…。これ、実話です。でもおとぎ話みたい。飢餓時代に、家族のお皿を渡る餃子の話に涙ぐんでしまった。父に食べさせようと母。母に食べさせようとする父。最後末の息子に「歯を見せて」といい、その口に餃子を放り込む父親…いやはや。まっすぐな語り口ですが、誰のことも悪く言いません。苦難の中生き延び、運をつかんだことへの感謝がつづられた、驚くほどピュアなサクセスストーリーです。2019/07/09
絵本専門士 おはなし会 芽ぶっく
14
山東省の貧しい寒村の生まれ、著者リー・ツンシンは7人兄弟の6番目。国の政策により、11歳の時にバレエの英才教育のための北京舞踏学院の生徒に選抜される。それは500万人に1人という超難関選抜試験をくぐりぬけたエリート。偉大なる毛沢東の運動を推進する目的だったのだが、1976年に毛沢東首席が亡くなるや中国は改革政策へと大きく変貌。79年に実力をつけたツンシンはバレエの研修でアメリカに渡る切符を手にすることになった。それが彼の人生を大きく転換させるとは想像すらできず…。映画小さな村の小さなダンサーの原作。2020/01/24
お静
12
久々の感動作品だった。極貧の田舎に生まれ育ったツンシン。紅青女史の率いる毛沢東肝いりのバレエ団で教育され、自由に目覚めアメリカに亡命する。政府に全てを強要されながらも強い絆で繋がる母と兄弟。その頃の日本との差を思い知らされた。 素晴らしい作品だった。2019/08/07
Jessica
6
文革の吹き荒れる大混乱の中国にて、国をあげて英才教育を受けた田舎出身の天才バレエダンサーがアメリカ留学で自由を知り、亡命しヒューストンバレエのプリンシパルになるというあまりにもドラマチックすぎる実話。先日見ていたフランスのラップバトルで「自由とは自分しか頼れないと知ること」とリリックに綴ったラッパーがいて、ふと急にそれを思い出しました。2023/03/21
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