内容説明
文部省の「ゆとり教育」が生んだ高等教育の崩壊状況を徹底検証。その根本原因たる日本の教育制度の欠陥を、文部省の歴史、東大の歴史に求めながら、日本を知的亡国の淵からいかにして救うか、その処方箋を探る。さらに現代における教養とは何か、それはどのように獲得すればいいのかを論じて、世間に衝撃を与えた問題の書。
目次
知的亡国論
文部省が世界最低にした日本の大学―私の東大論1
東大法学部卒は教養がない―私の東大論2
東大法学部は「湯呑み」を量産している―私の東大論3
東大生諸君、これが教養である―私の東大論4
立花臨時講師が見た東大生
私の東大初講義
東大生はバカになったか?
現代の教養―エピステーメーとテクネー
著者等紹介
立花隆[タチバナタカシ]
昭和15(1940)年長崎県生れ。39年東京大学仏文科卒業。49年「田中角栄研究―その金脈と人脈」(「文芸春秋」11月号)で金脈批判の先鞭をつけ、以後精力的に腐敗政治批判を続けている。58年菊池寛賞、平成10年司馬遼太郎賞受賞
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感想・レビュー
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金吾
23
教養の必要性を問うているように感じます。知性や教養は人生を楽しくするのに不可欠な要素ですが、頑張って身につけるべきというものではないのかなと思います。2024/07/17
masabi
18
大学教育が教養は軽視した専門バカやその他バカを量産する結果となっているが、それでは知的に破産してしまう。今から破滅を防ぐには学制を少人数教育にすること、大学は卒業を難しくすること、など至って正論である。文系知識と理科系知識を統合したゼネラリストが実社会でも活躍できる。2015/01/02
猫丸
15
旧制高校が廃された後、教養教育は学部前期課程が担うことになった。文理問わずデカンショを論じ代数学に苦しめられたかつての一高生の後裔が現在駒場キャンパスを闊歩する学生である。そこに知の地崩れが起こったことは間違いない。それでも東大教養学部は学部入学者全員が属する建前を堅持しており、総合的知(culture)を標榜する駒場を「東C(とんシー)」と呼ぶ伝統は辛うじて生きている。21世紀を待たずに教養部を解体した多くの大学には無い美点の一つとして数えられるだろう。それがほんとうに機能しているならば。2019/12/20
あび
10
知識を頭に叩き込む作業に特化するのみで、新たに創造したり、自分で考えるということが下手になっているという話。2017/03/31
miyatatsu
9
東京大学にかかわらず、昔に比べて日本人が勉強をしなくなったのは自明の理であるし、ちょっと蛇足だと思える点がちょっと多い印象です。 勉強すればどのようなメリットがあるのかとかその人にとっての明確で達成可能な目標があれば勉強するんでしょうけど・・・2018/09/18
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