出版社内容情報
玉音放送を担った伝説のアナウンサー和田信賢は、大病を患いながらヘルシンキへ渡り、五輪を中継。だが次第に目も見えなくなり……。
内容説明
ヘルシンキ五輪(1952年)に派遣された無頼派の人気アナウンサー和田信賢は、長年の無理がたたって心身ともにボロボロの状態だった。現地から「日本」を鼓舞する中継を懸命に続けるも、次第に目も見えなくなり…。
著者等紹介
堂場瞬一[ドウバシュンイチ]
1963年生まれ。茨城県出身。青山学院大学国際政治学部卒業。2000年『8年』で第十三回小説すばる新人賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ミカママ
517
発刊から気になっていたこちらを満を持して。日本が戦後初めて参加した夏季五輪、ヘルシンキ。派遣された無頼派アナウンサー・和田信賢が体調の悪いのを押して「オリンピックを中継したい」という長年の夢のために奮闘する。体調の悪いのが延々と語られるのが読んでいて辛い。当時の海外渡航の苦労、仕事に対する熱意、どれをとっても今とは比べ物にならないし、今ならいろいろ問題になっていたろう。主人公が病床で夢見た日本の食卓、最期に食べさせてあげたかった。壮絶な仕事人生。2022/10/19
鉄之助
293
最初、表紙に違和感があった。和田信賢(のぶかた)は、NHKの歴史に残る名アナウンサーのはずなのに、鬼気迫る絶叫顔。70連勝ならず「双葉山、敗る!」の大相撲実況や、終戦の天皇・玉音放送を告げる第一声などNHKの顔になっていた。戦後は、全国民が熱狂したラジオ番組『話の泉』の司会を務めた和田だが、ヘルシンキ五輪中継で体調を崩し、パリで客死する。享年40歳。どんどん具合が悪くなっていく、暗い暗い物語なのに、「強いのに照れ屋、社交的なのに孤独好き」彼の二面性がうまく表現され、読後感は決して悪くなかった2022/10/19
旅するランナー
198
アナウンサーは瞬間芸術です。そんな言葉を残した、伝説のNHKアナウンサー和田信賢による1952年ヘルシンキオリンピック紀行。でも、全く爽快さはなく、良くならない体調、合わない食事、伝わらない言葉...そんなネガティブな日々に嫌気が差して上の空になっちゃいます。ヘルシンキ五輪といえば、5千メートル・1万メートル・マラソンで金メダルを獲得した、チェコスロバキアのザトペック。なぜ走るのか問われ、彼が答えた「鳥は飛び、魚は泳ぎ、人は走る」は大好きな言葉です。それからすると「和田は喋る」ってとこでしょうか。2020/05/25
ウッディ
114
敗戦した日本が初めて参加した夏季五輪、選手の活躍を伝えるラジオ実況を行うため、アナウンサーとしてヘルシンキに派遣された和田信賢。五輪中継を担当するという夢のために、体調の不安を振り払って飛行機に搭乗した和田であったが・・。実在のアナウンサーの感動的な実況中継の物語だと思っていたが、慣れない洋食への不満と体調不良が延々と綴られた手記のような小説でした。それでも、海外旅行が今より大変だった時代、自分の命をかけて五輪の興奮を伝えようとし、パリで没した一人のアナウンサーがいたことを忘れてはいけないと思った。2020/10/16
ゆみねこ
92
戦後日本が参加した初めてのヘルシンキオリンピック。NHKの嘱託アナウンサーであった和田信賢の命を賭したラジオ放送。体調の悪化と戦いながら日本人選手の活躍を伝えた「空の声」。わずか40歳でパリで客死した彼は、どんなにか日本に妻の元に帰りたかっただろうか?テレビで和田さんの姿を観たかったな。。2020/05/21