宗教のきほん<br> 禅の知恵に学ぶ

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宗教のきほん
禅の知恵に学ぶ

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  • サイズ B6判/ページ数 208p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784140819098
  • NDC分類 188.8
  • Cコード C0315

出版社内容情報

意外に知らない「禅」の世界、その扉をひらく入門書。

心が不安定になりやすい現代で、その教えを日常に取り入れやすいことから世界中で注目を浴びる「禅」。2500年の伝統をもつ仏教において、禅はどのように生まれ現在に至るのか。その歴史と思想の要点のみをコンパクトに概説。禅僧が目指す、豊かに生きることや幸せに生きることとは異なる「己事究明」の道とは何か。「坐禅」「読経」「作務」「食事」……その修行法を理解し、禅における人生の捉え方を体感する。「五分坐れば、五分の仏」「それと一つになる」「他の力で生かしていただく」……40 年以上もの修行を経た高僧が、体得した禅の知恵を実感を込めて語る。

内容説明

意外に知らない「禅」の世界、その扉をひらく入門書。禅はどのように生まれ現在に至るのか?禅僧は人生をどのように捉えるのか?そこから学べる「いのちの智慧」を、道を究めた高僧が語る。

目次

第1章 禅とは何か
第2章 生きることはすべてが修行
第3章 一寸坐れば一寸の仏―坐禅・参禅
第4章 それと一つになる―作務・勤行
第5章 いのちをいただく―典座・托鉢
第6章 生かされて生きる

著者等紹介

山川宗玄[ヤマカワソウゲン]
1949年、東京都生まれ。1974年、埼玉大学理工学部卒業。野火止平林僧堂・白水敬山老師について得度。同年、正眼僧堂に入門。1994年より正眼寺住職、正眼僧堂師家、正眼短期大学学長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

夜間飛行

183
達磨は仏法庇護に尽くした武帝に功徳はないといった。私は武帝の事業にも意味はあると思うが、これは慢心を戒めた話なのか。お陰で武帝は〝大疑〟を得たらしい。達磨は印度から法を伝えに来て、洞窟の壁に向かい九年、手足の腐るまで座り続けた。そこに肘を切り落として入門を請う慧可が現れる。達磨は座りながら機が熟するのを待ったのだ…恐ろしい話だけれど、ここが面白い。花の咲いたような温かさを感じる。高橋新吉の詩《彼女は雪柳のような素足で/ボケの花のような紅らんだ顔をして歩いていた/白い紙は果てしなくひろがっていた》を想った。2024/12/31

m!wa

5
まじか!!ってほど、お寺の修行厳しいな。禅そのものが流行っててるけど、根底にある考え方を理解するのが大切だと思う。修行に比べれば、全然楽なこと多いな。2024/11/13

yoshi

4
正眼寺の禅寺での修行生活をわかりやすく伝えてくれる本。齢五十にして天命を知るどころか惑いも多いため、内省・内観の時間を半ば強制的に持つべく、訪れてみたいと思ってこの本を手にしました。2024/11/13

ゆう

1
禅の修行は実際に体を動かすことで「体得」することにあり、生活そのものが修行である。これは以前IKIGAIに書かれていたマイクロフローの考えに近い。三昧の境地はフローそのもの。工夫して無駄を省く。得たものはどんどん捨てる。人生に現実に起きている問題こそが本当の公案であり、「現成公案」という。自分の力で「生きている」のではなく、「生かされている」のだと知る。自分の体でさえも「体を使わせてもらっている」。忙しい日々を送りながら禅の考えを取り入れるのは中々難しいとも思いつつ、生き方を見つめ直すよい機会になった。2024/02/21

1
★★★☆☆ 禅の修行をわかりやすく説明しながら、人間の心の持ちようを説いてくれます。現成受用。2023/03/02

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