内容説明
概念や言葉を媒介せず、世界に到達することを思索の使命としたサルトル哲学を辿り直し、今なお問いかけてくる、直接性の孕む諸問題を検証する。
目次
1 わたしは世界にじかに接している(わたしはわたしに透明に与えられている;世界への近さ ほか)
2 時間性あるいは自己からの距離(時間を導入する―無限の距離にあるわたしの未来 ほか)
3 わたしは他者に到達できない(世界の内出血;まなざしとしての他者 ほか)
4 わたしを疎外する歴史と社会(他者とどのように生きるか;贈る言葉 ほか)
著者等紹介
梅木達郎[ウメキタツロウ]
1957年生まれ。東北大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。同大学院国際文化研究科助教授。専門はフランス現代文学・現代思想。2005年3月逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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阿呆った(旧・ことうら)
18
仏・実存主義哲学者・サルトルの思想について◆己の意識の直接的な経験がおよばない外部(他者、集団、社会、歴史など)の世界は、己を疎外するものであり、私はそこに投げられている。この状況を引き受け、それを乗り越えつつ、私の自由を生きなければならない。◆『意識の直接性』と外部を繋げようとした、『観念論と実在論の対立を乗り越える』試み。2017/03/08
H2A
16
サルトルに興味があるというより、ごく個人的な理由で手に取る。手軽な分量ながら、「直接性」を切り口にサルトルの思想家としての一面を明解な語り口で解説し、たぶん入門編としても優れているだろう。サルトルが辿り着いた結論が直接性への到達は原理的に不可能ということだと理解しても、その思索の成果は肯定的に捉えているようだ。デリダを好んだ著者が、研究者として最初に選んだサルトルについての小冊子を書き、それがそのまま遺作になったというのも因果な気がする。2013/12/31
イチロー
7
サルトルの人間の定義は「自分の可能性に向けてみずからを投げかける存在」である。もともと何者でもなく何の意味を持つことなく生まれるが、選択していくなかで何者かになり自分の人生に意味を作っていく。選択する自由というのは誰にでもある。朝に起きれなかった時、起きれなかったのではなく起きない事を選択したと思わなければいけない。そうやって一つ一つの選択に対して真剣に向き合う必要がある。 私は今日の朝、寒くて寝坊したけど・・・。いや起きなかったんだ。2013/12/09
Z
6
サルトルの小説に関心をもった。サルトルの哲学は著者いわく主体が直接的に対象を捉えることを理想とするものであるが、歴史や社会の問題となると体験できない他者の主観が入り込みその事を不可能にする。サルトルの社会哲学は未刊に終わった。小説においては「自由への道」は全体小説なるものを目指して、複数主観を捉えて全体を形づくるような修辞的な試みを行っている。直接的な接触を目指して挫折をするサルトルであったが、『嘔吐』においては、挫折から始まり希望を感じさせるようなラストで小説が終わっている。今さらサルトルという感じは著2022/09/07
kaya
6
人と人は互いの自由を束縛し合う関係である。また、他人は決して到達し得ない存在である。しかし、わたしの自由が阻害されようとも、たとえ決して理解しきれないのだとしても、それでもわたしは「他者の気持ちと重なりたい」と願うことをやめられない。「わかりあえるかもしれない」という希望だけで、わたしは充分だから。2015/04/16