内容説明
墓、瓶詰め標本、奇妙な船。日本、ヨーロッパ双方の歴史を変えた“出会い”の現場を、モノとヒトに焦点をあてて活写した、気鋭のジャパノロジスト、待望の最新作。
目次
第1部 人間交流の江戸美術史(「御城」のパースペクティヴ―「城外蘭人図」;観光する阿蘭陀人―名所図会;奇妙な船―「バトー・ジャポネ」;国際交流の現場―家と空間;死をとりまく問題―阿蘭陀人の墓)
第2部 忘れられた出島の学者(瓶詰めの標本―ツンベルグ;日本を動かそうとしたカピタン―ティッツィング)
著者等紹介
スクリーチ,タイモン[スクリーチ,タイモン][Screech,Timon]
1961年英国バーミンガム生れ。1985年オックスフォード大学卒業。1991年ハーヴァード大学博士課程修了。現在、ロンドン大学アジア・アフリカ研究学院(SOAS)教授。多摩美術大学客員教授
村山和裕[ムラヤマカズヒロ]
1966年大阪生れ。1991年早稲田大学社会科学部卒業。1994年オックスフォード大学セントアントニーズカレッジ社会人類学修士課程修了(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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メルセ・ひすい
2
15-79★5江戸鎖国当時!阿蘭陀だけと交易?それは間違い!西欧人をオランダ人と言ってたんださっ 例の東インド会社…実は独人と瑞典人が一番多かったんだ、ふふふっ幕府も毛唐の区別不能さ 歴史家の仕事? 史実を発見してそれを解釈する。でも本来は人間交流の生臭さ言動は信用できないが絵画は正直。「人間交流の歴史」こそ多くを語る 江戸中期の日本、唯一貿易が許されていた出島に滞在したヨーロッパ人は、様々な人物と出逢い、交流を深めた。本書は、彼らの間を行き来した絵画や工芸品に注目し、モノが媒介する人間交流の詳細を写す。2011/10/22
takao
1
☆江戸期における日本と外国(オランダ)との交流2018/05/20
150betty
0
(☆3)たぶん、筆者がオランダの人だと思うんだけど、こんなにすげえ人なのに彼が活躍した日本で知られてないのは不遇だわという感じで本が書かれててどこか微笑ましい。ちょっと雑多な感じはしますが、江戸美術史と言う割にはそんなに美術自体が中心ではなくて、日本に来たオランダ人自体が中心に書かれてたように思います。2014/04/02
こんな本を読んだよ
0
鎖国の時代にあっても、長崎出島にいた欧州人(オランダ人に限らない)と日本人の人間の交流は存在していた。舞台は長崎だけではなく、参府と呼ばれる江戸への旅を通して様々な交流が生まれた。ケンペルとシーボルトが有名だが、ツンベルグとティッツィングについての逸話も忘れてはならない。日本人では、ツンベルグと親交のあった吉雄幸作は自宅にオランダ座敷を持ち、司馬江漢も訪問している。ツンベルグはカール・フォン・リンネの下で植物学や医学を学んだ医師だった。ティッツィングはカピタン。2012/01/28
Teo
0
江戸期のオランダ人がどう過ごしたのかを資料から探る本。非常に興味深かった。私は植物学が専門だったのでツンベルグは名前は知っていた。ああ言う経歴なので種小名にも使われている(例:ウミトラノオ Sargussum thunbergii)。しかしあんな野心家だったとは。片方の資料にあって片方に無いものから読み取れる姿と言う点も面白かった。2011/11/19