目次
第1部 リベラル・デモクラシーに内在する宗教の問題(グローバルなリベラル・デモクラシーとヴァイマールの亡霊―現代アメリカにおけるレオ・シュトラウスの浮上は何を物語るのか;同化主義とシオニズムのはざま―レオ・シュトラウスとスピノザの背反と交錯)
第2部 近世・近代における理性・啓示・政治の関係(西欧近世にみる開放的共存の思考様式―スピノザにおける神権政治と民主政;古典主義時代における歴史の概念と政治神学―聖書解釈をめぐるホッブズとスピノザの相違は何を帰結するのか;コスモポリタン・デモクラシーと理性vs.啓示の争い―“理性の公的使用”にみるカントの政治的判断力)
第3部 ヴァイマール期から現代にいたる政治と宗教の問題(政治的公共圏と歴史認識―アーレントにおける「光の物語」と「闇の記憶」;構成的権力論と反ユダヤ主義―力と法をめぐるシュミットとスピノザの邂逅;ポスト形而上学時代における政治的「無神論」―マルクス「宗教一般」の再検討)
著者等紹介
柴田寿子[シバタトシコ]
1955年長野県生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。東京大学大学院総合文化研究科(国際社会科学専攻)教授、学術博士。2009年逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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リベラル・デモクラシーの限界を巡っての言説のうち、スピノザを批判するシュミット、シュトラウスたちの思想を検討。シュミットはスピノザの政治思想と自然哲学、具体的には構成的権力と能産的自然の概念がアナロジーの関係にあると指摘しているが、スピノザ研究者の著者によるとそれは曲解。言われてみるとその通りなんだが、スピノザの自然哲学におけるラディカリズムも、政治思想においては、思考と表現の自由を確保するにはどの体制が最適かという問題に方向づけられているので、その限界はリベラル・デモクラシーと意外に重なりあうのかもと。2016/12/24
まぶたのあるいきもの
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一章:グローバルなリベラルデモクラシーとヴァイマールの亡霊 -現代アメリカにおけるレオ・シュトラウスの浮上は何を物語るか- 副題にあるように、現代アメリカにおいてレオ・シュトラウスの浮上は何を意味するかを検討している。 本論稿が書かれた2004年、当時レオ・シュトラウスはネオコンサバティヴと結びつけてしばしば語られていた。 当時のアメリカはテロとの戦いの真っ最中であり、その時政権中枢にいたのがウォルフォウィッツ(シュトラウスの講義を受けた)を中心のネオコンが話題になっていた。 2016/04/09
左手爆弾
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高名なスピノザ学者の書いた本だが、スピノザを引き継いだ哲学・政治学者達の論説が多く取り上げられる。ユダヤ人問題や宗教と政治の関連について扱われているのだが、私にとってはまだ難しい。まずはレオ・シュトラウスやカール・シュミットなどの議論を追わなければ著者の意図をつかむことはできないだろうと感じた。さらに惜しむべきは著者がこの書の完成を待つことなく亡くなったことである。「あとがき」の短い言葉には、学者として、母として、妻としての言葉が凝縮されている。2011/08/11
シマ
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リベラルデモクラシーは様々な価値観が等しく尊重され権威ある真実が欠如、神権政治は唯一の真実があり多様性は認めない。前者優位の立場が無神論者スピノザで、後者優位がユダヤ教徒シュトラウス。両者ともどちらか一方だけでは危険だと認識しており、他の立場を寛容しようとする。真実と多様性、公的領域においては法によるリベラルな原理が保障されるが、自由な私的領域を規制する原則はなく、リベラルな原理に反する差別が容認・保護される、としている。公私両領域を媒介する対話により合意を立ち上げ、その下に多様性を実現する必要を説く。2022/12/08
かんなみ
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レポート用資料として読んだ。通読したわけではない。1章・3章・6章だけ読んだ。2018/01/13